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カニを剥かずに食べるには?

ブーツで土を踏むと、霜が下りていた。すっかり冬だ。

冬にカニが食べられるのは、普通のことではないらしい。うちでは、冬になるとお父さんの友達からカニが送られてくる。一人っ子の私は、お父さんの剥くカニをひたすら口に運ぶ仕事をする。

ぶっきらぼうな父だけれど、カニを食べる時だけはいつも優しくて、私はカニよりも、優しいお父さんが好きだった。

随分前、今は婚約者になった彼氏に「カニ楽しみだね」と言ったら「え?」と驚かれた。「冬といえば、コタツとミカンとカニでしょ」と眉をひそめると、「裕福な家庭アピールや」と拗ねられた。

「あ〜、緊張してきたなあ。」

「私も。どうしよう、南のやつは根性無いからダメ。とか言われたら。」

「そんなら、北海道に越すしかないか。」

「絶対嫌、寒いもん」

「寒いのより、オレと結婚するほうが大事や。」

ばーか、と彼を小突く。ふと顔を上げると、彼の顔はガチガチだった。思わず吹き出す。

「そんなに緊張しなくても大丈夫、お父さん優しいから。」

「それはひとり娘やから。ひとり娘を奪おうとしとる男に親父は厳しいって教科書に載ってへんかった?」

「載ってない。大丈夫だってば。ほら、行くよ。」

ぎゅっと彼の手を握ると、どことなく優しいにおいがして、この人なら大丈夫、と確信した。


お母さんはニコニコと歓迎してくれた。けれど、お父さんは黙って新聞を広げている。お母さんが台所に行ってしまうと、3人を長い沈黙が襲った。

「…彼はすごくいい人なの。私は優柔不断だけど…でも、この人との結婚は、絶対したいって思ってる。

おちゃらけてるし、根性は無いけど、私のこと、1番大事に思ってくれてるの。もちろん、私もこの人が1番大事。それだけじゃダメ?」

バサ、とお父さんが新聞を捲る。

「お願いします。俺、絶対娘さん幸せにします。」

「あら〜、どうしたの?お父さん、まだ意地張ってるの?」

お母さんは、肩を竦めながら笑った。私も、苦笑いする。本音を言えば、ろくに顔も見ないでふたつ返事されると思っていた。進学も、就職も、「お前の好きにすればいい」と言ってくれた父だから、大丈夫だと思っていたのだが、そうもいかないらしい。

「ほら、お父さん。カニ、持ってきたわよ。」

「わ、あれ?いつものより…おっきい?」

毎年同じお皿に収まっているカニの足がぶら下がっている。父は大きくため息をつくと、新聞を置いて、腕まくりをした。彼は、解体されていないカニに呆気を取られている。お母さんが私にウインクした。首を傾げる。

「はい、裕太くんも、カニ剥くのよ。」

「オ、オレも?」

ハサミがふたつ、差し出された。父は黙って受け取ると、手際良くカニを解体して行く。彼もハサミを受け取るが、表情は変わらない。ああ、私の父は。

「…亜希子にカニを剥くのは今年から君なんだから、しっかり覚えて帰りなさい。」

父はそう言って、カニの足を並べた。私の父は、不器用な人なのだ。私にカニを剥いてくれてたのは、他に甘やかす方法が分からなかったからだ。

そして今、父のたったひとつの愛情表現を彼に譲ろうとしてくれているのだ。

「また、聞きに来ていいですか。お義父さん。」

「…何度でも来るといいさ。」

お父さんを見ると、いつもと変わらず、黙ってカニを剥いていた。彼の手つきはあぶなかっしい。けれど、近いうちに彼も娘にカニを剥くようになるのかと思うと、なんだか涙が出た。

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矢原小春
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