春のおいしさ、ゆたかさ

私、そろそろやばいかも。化粧してないどころかコンタクトだって最後に入れたのいつだっけ。ツイッターで『久々に化粧しちゃった、スーパー行くだけだけど笑』みたいなこと言うほど若くないし、化粧好きでもない。オンライン飲みも最初は楽しかったけど、ジェラピケのパジャマチラ見せとか、同棲マウントとかがめんどくさくなってきて、もう昔の話になりつつある。実家から届いた大量のそら豆とタケノコ。ちいさな紙にびっしり詰まったお母さんの走り書きの文字が、ちゃんとしなさい、って言ってるように感じる。とりあえず、そら豆むこう。というか、着替えよう。高校の時のクラスTシャツの印刷は、すっかりかすんできている。

ぱんぱんに膨らんでるそら豆の殻。せまい台所に立って、一人でむく。殻の端を指で捻って、そのまま反対側まで引っ張ると、綺麗にスジが取れる。両手で殻を開くと、そら豆がころん、と寝ている。むくのは嫌いじゃないけど、手が臭くなるんだよね。無心でそら豆をむき続ける。臭いを気にしたら負けなのだ。とんこつラーメンもニンニクもビールもそら豆も、臭くて美味しいから。あ、ビール。一応、小指で冷蔵庫を開けると、青い金麦が鎮座していた。ビールとそら豆。これだけで春は最強だ。

ピコン、と携帯が鳴った。母からだ。『荷物届いた?』お礼したいけど、あとにしとこう。手、臭いし。五分ほどむいたところで終わりが見えてきた。大きめの鍋に水をたっぷり入れて、ちょっと引くくらい塩をいれる。ほんとはむいたそら豆に切り込みとかいれたほうがいいんだろうけど、自分用だし、めんどくさい。・・・こういうところが私をやばくしてるのかな。なんて。ラストスパートをかけて、殻を捻る。ピロリン、さっきと違う音だ。画面を覗きこむと、『ひとり暮らしですか?』。そら豆をひとりでむくくらいには一人です、とか言っても面白いこと言ってくれないんだろうな。暇ではじめた出会い系は、しょうもない男ばっかりだ。家行っていいですか、宅飲みしましょ、ひとり暮らしですか。下心のひとつ覚えばっかりで、ため息も出ない。電話しちゃって、早く会いたいね、とか言えるようなのがしたかったのに。なんかぜんぜん、うまくいかない。ザルに入れたそら豆を、ボコボコ沸騰するお湯に放り込む。火を弱めると、そら豆たちはたのしそうに泳いでいる。そのまま放置して、処理してくれてある水煮のタケノコを、ひと口よりすこし大きめに切る。このまま塩ふって食べたいくらいだけど、ガマン。

そら豆が柔らかくなったのを確認して、ザルに戻す。ぶわ〜と湯気が上がって、顔があつい。メガネが真っ白になって視界を失う。あつい。タケノコとそら豆一緒に炊いても美味しそうだけど、もう両方茹でちゃったし。遅かった。季節ものはまた来年だね、ってなるから余計美味しいのだ。まだあついから、軽く手を洗って、携帯を手に取る。お、かあさん、ありがと。くわえて、可愛くなりすぎないスタンプを送ると、すぐに既読がついた。きれいなみどりいろが美味しそうだ。つるっとしてる皮に水滴が落ちていて、サンプルみたい。あー、はやく食べたい。ちいさな窓のおくはけっこうきれいな空だった。そういえば、最近空見てなかったな。私、思ってたよりいっぱいいっぱいになってたんだ・・・。そう思うとなんだか、ちょっとだけ安心した。

あたたかい、くらいになったそら豆はまだちょっと固かった。独特のはるの味と、塩味がちょうどよくて何個か食べたけど、やっぱり固い。どうしようかな。炒めてみようか。ながいひとり暮らしで知ったことは多くある。そのうちのひとつが、バターとめんつゆで炒めれば大抵のものは美味しくなる、ということだ。

スプーン一杯ぶんのバターをフライパンに落とすと、ぶわっとバター臭が広がった。もう、すでにおいしそうだもん。バターがちいさくなりはじめたら、そら豆を半分くらい入れる。めんつゆのふたをあけながら、木べらを手に取る。視界の隅に、タケノコがさみしそうにわたしを見た。忘れてた。煮ようとおもってたけど、いいか。フライパンにタケノコをはんぶん入れると、ちいさなフライパンはぎゅうぎゅうの満員になってしまった。ゆっくりおおきく木べらで混ぜる。火は強火にして、焦げをわざとつける。じゅううう。めんつゆを一周させると、とつぜんおいしい料理に早変わりした。なるべく味が均等になるように混ぜると、焦げの香り高さとそら豆の色彩の美しさ、バターのおいしい油にめんつゆの甘さが想像以上で、ちょっとどきどきしてきた。塩味はそら豆から出てるだろうし、こんなもんかな。引っ越してきたときに買った無印の深めのお皿に、ゴロゴロといれる。転がり落ちていくそら豆とタケノコは、これが最善です、みたいな顔をしている。今すぐつまみたい気持ちをこらえて、ざるに寝ているそら豆を電子レンジにぶちこむ。私は、やわらかめのそら豆が好きだった。毎年、思い出す。

机にお皿をふたつ並べるだけで、もう、満足のような気もする。あ、そういえば。金麦を冷蔵庫から出す。キンキンに冷えた金麦。これってもしかして最高?ゆたかな酒飲みすぎない?歩きながらプルタブを引く。あふれる泡をあわてて吸うと、口のなかにぐわっと苦みが広がる。座って、焦げついたタケノコにビールの後追いをさせる。シャクッとみずみずしい。なのにちょっと、山の味とバターのにおいが広がって、おいしい。そら豆も続けてたべる。ほどよいしょっぱさ。一口噛むと、そら豆はほろっと崩れた。ああ、おいしい。焦げのちょうどいい臭さが最高で、んふ、と笑っちゃう。急いで金麦を追加する。喉を通るまで冷たくてしゅわしゅわだけど、そのまま飲み込むとあたたかくなって、三口目の頃にはすっかりぽかぽかの体になっている。あついくらいだ。窓をあけると、強めの春風が吹きこんできた。春のにおいがする。

いつのまにか「みんな」と比べていた。だけど、みんな頑張ってて、私も頑張ってる。誰も知らない困難に、みんな頑張ってる。もう少しだけがんばろう。みんなもがんばってる、って思うことができるのが、今の私の「ゆたかさ」だ。忘れられなくなった春の訪れに、金麦を掲げる。

だいじょうぶ、春はまた来るのだから。 

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矢原小春
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