買える幸せカヌレのはなし
年々甘いものを沢山食べられなくなっている。
中高校の時はスイパラに週1くらいで行って、吐く寸前まで食べては、「幸せ〜」と言っていた。なのに、スイパラなんて何年行っていないだろう?3年近くは行っていない。
1年に1度のホールケーキも以前ほど嬉しくない。歳とったなあ、なんて、21のくせに思う。
でもやっぱり、甘いものは好きだ。この季節なら、競走のように食べるアイスキャンディも、どろどろに溶けたチョコレートも、湿気ったクッキーも。どれもこれも私の回復薬。
だけど、高校1年生のある日、私はスーパー回復薬に出会った。それが、カヌレである。
学校をサボって、近くの繁華街に出た。最初からサボるつもりだったから、多目的トイレで私服に着替えて、涼しい駅中を1人で歩いていた。優雅すぎる…。
とんとん。リズム良く鳴るローファー。それを見る人は誰もいない。私のリュックに詰められたぐちゃぐちゃの制服は、私しか知らない。忘れ去られたレシートのように、カバンの奥底へ沈んでいく。
全てが嫌だった。必死で勉強して入った高校は勉強漬けで、バイトは土日7時間ずつ。制服も全然可愛くないし、バイトをしすぎているせいでどんどんと成績は下がっていた。優雅な状況とは裏腹に、私の足はずるずると重くなっていく。きらきらと輝くブランド物のバック。ブランド品が欲しいわけでも、かっこいい彼氏が欲しいわけでもなかった。楽しいことに飢えていた。無駄に体力を消耗して、母にたしなめられていた。1粒400円のチョコレート。甘いものが食べたい、と思った。コロンとしているリンツのチョコレートは、ゴテンと転けたくなるくらい、値段が高い。私はその気持ちを振り払って歩き出す。1切れ800円のタルト。美しく輝く姿に、足を止めた。うっとりと眺めて、写真を撮って、足早に逃げる。800円なんてもったいない。その時の時給が、たしか850円くらいだった。
出口に近づくと、まだまだ日は高い。私は顔を顰めて、踵を返す。
ふわりと、パンの匂いがした。焼きたてですよー!なんて叫ばずに、コック帽を被ったお姉さんが、新しいパンを並べていく。私はちらりとお店を覗くと、強い甘いにくらりとした。まるでお菓子屋さんのような甘い匂い。どろっとした生クリームの足跡。口に溜まった唾を、飲み干す。
真っ黒い物体があった。
すごく地味なのに、250円もする。うそ、と思いながら、恐る恐るトングで掴む。フランスパンくらい硬い。値札には、『本日中にお召し上がりください』と書いてあるではないか。
馬鹿な!ケーキだって2日は持つぞ!
美味しいわけない、と思いながらも、掴んでしまったからには、トレーに載せる。800円は許せなくても、250円は許せる私だった。
紙袋に包まれ、ビニール袋に放り込まれたカヌレレは、小動物のような可愛さがあった。
駅ナカのソファに腰掛けると、私は本当に、本当に小さくカヌレを齧る。私が小動物だった。甘いフランスパンだ!これはイケる。もう一度口を開いた瞬間、カリッとした中から、不思議な匂いが漂った。ごく冷静なフリをして、口に空気を含んだ。ラムレーズンに似ている。しっかりと気がついた。私はラムレーズンのバターサンドも、大好きなのだ。
もう一度、今度は猫くらいの大きさの口で、カヌレを噛む。
ゴリ、と硬い層が終わり、半生のホットケーキのような層が出てきた。気泡が沢山空いていて、硬くパンパンに詰まった外側とは、まるで違う。そして、意外なことにも、内側の方が甘さが少ない。カリッとした外側と一緒に食べることで、ちょうど良い甘みになって、噛む度にラムの香りがする。トロ、カリ、フワ、カリ。5センチほどの小動物は、あっという間に、私の食道を走っていく。
私はその足でパン屋に戻り、2つカヌレを再入荷した。会う予定の彼氏の分と、母の分だった。
私はそれから、付き合う人ができる度にカヌレを食べさせた。花の名前は知らないから、カヌレの味を教えた。カヌレは、年中あるけれど、どこにでもある訳じゃない。まあ、だいたい花と同じだろう。
カヌレを食べる時、みんな、私のことを思い出せばいい。そう思いながら、私はたまにカヌレを買う。量が食べれなくても、幸せな気持ちになれるカヌレ。
地味で、高くて、会いに行かないと会えないようなひと。蜜蝋を着たあなたが、私はいちばん好きなのだ。この人を嫌いになるまでは、甘いものが好きだと言い続けるだろう。2cmほどで4個800円のカヌレを頬張りながら、私はこれを書いている。大人になるのも、そう悪くない。