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深く生きたいと思えた

先日、SUSONOというコミュニティを卒業した。
去年の12月の立ち上げから参加してちょうど一年。

仕事でも、プライベートでも、全く知人がいない世界で新しい関係を築く。ネットワーキングが苦手な自分としては、珍しくフィットして友達もたくさんできた。

初めて参加したコミュニティでここまで楽しめたのは正直自分でも驚いている。

そういって楽しんでいた中で、やめたのはネガティブな理由からではない。こう言うと変な話だが、SUSONOのおかげでSUSONOを卒業できた、という感じだ。

運営の方にも、一緒に楽しませてくれた方にも御礼を込めて、SUSONOがくれた変化を3つまとめておきたい。

まず、今の自分を認めることができたこと。
イベントでは毎回知らない人と出会って数十分で「住む」「食べる」「装う」など、生きていく上で最もシンプルであろう行動について喋る。

実はそういったシンプルな人間的な部分についてあんまり話してきた経験がなかった。だから初対面にも関わらず、すごく自分のコアな部分を吐露するような気分で恥ずかしかったのだけれど、誰もそれを否定しなかった。自分の存在を肯定してくれ、ありのままを認めてくれるような気持ちになった。僕にとっては、それがすごくすごく癒しだったように思う。

それが自分で今の自分を認めることにつながった。このままでいいのかなと悩んでいる部分、自身のある部分、いろんなものをひっくるめてを受け入れることができた。

次は、自分を掘り下げられたこと。
SUSONOではイベントだけでなく、参加者側が主体となって動く部活というものがあった。座学だけだと、だんだん遠のいてしまった経験がある僕にとっては非常に良い機会だった。

そこで僕は同じ会員の方(さちこさん)とラジオSUSONOを立ち上げた。北海道在住のディレクター(ゆりさん)も加わり、毎月ゲストを呼んで1時間半〜3時間近く、毎月のテーマに沿って話してきた。

これがイベントと違って、みっちりとテーマについて話し込むものになっていった。結果、自分の言葉が仲間とゲストという鏡を通して自分に返ってきた。編集も自分でやっていたから、今の自分を理解するのに、2倍の効果があった気がする。

最後は、自分をミクロに見るようになったこと。
その2つが僕の主なSUSONOで体験していたことなのだけれど、それが自分と向き合うという集中講座を受けていたかのようだった。

こういうものが本当は好きなんだ。
こういう考え方で生きているんだ。
こういうことが僕独自のものなんだ。

ということだったり、

こういうことは耐えられない
こういうことはポリシーじゃない
こういう人とは一緒に居たくない

という自分の好き嫌いが明確になっていく感じがあった。

元々、もともと好奇心の幅が広く、浅く広くタイプだと自覚している。そして、それがコンプレックスだった。けど、よくよくミクロに見てみると、そこには確かな差があることがわかった。深く生きたいと思える場所が見つかった。

もしかしたら他の人から見れば差じゃないと思うようなことかもしれない。でも僕がそれを感じ取ることができたのは大きいと思っている。

こうしてこの3つが重なって、僕はSUSONOをやめようと決めた。


部活を立ち上げた手前、一番最初にやめるのが部長というのはどうなんだと思ったけれど、部員の人も応援してくれた。本当にありがとう。

そうして、SUSONOの退会処理をしたが、それは有料会員でなくなるだけで、会員であることは変わらないことがわかった。同時に、副部長が言っていた言葉を思い出した。

SUSONOってコミュニティらしくない気がしていて。
辞めた人ともご飯食べに行ったりしている。

コミュニティの所属することは卒業したけど、つながりはつながりのまま。本当に優しいなぁ。

関わってくださった方、本当にありがとうございました。また引き続き、よろしくお願いします。

深く生きたい場所はまた今後書こうかなと思います。


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小林 達仁
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