夢と思想
非差別的な差別主義者
俺は長く生きている訳では無いがその中でも人間の平等の観念を多く知ることが出来た。
俺は非差別主義者なのだ。
俺は人種や障碍や年齢で一切他人の価値を測らない。
じゃあ何で測るのか。それは、思考力とでも言うのか頭の良さとは別の力だ。
俺は差別主義者なのだ。
自分で考える事ができない人間は生きる価値が無いと思っている、本気だ。
そんな奴はゴミ以下とか思ったりする。
自分で考えるとは何か、感覚的なものを文章にするのはやはり難しいことではあるのだが簡潔にまとめたいと思う。
いや
自分で考えるとは自分で考えることだろ。自分で考えろよ。(笑)
煽るようで申し訳ないが君が答えを求めてしまったなら残念だ。
別に怒りを覚える、までは思わないだろう。
俺に評価されようがされまいが君には関係のない事なのだから。
とか言ってさ
俺も自分で考えない事を選択する事がある。
どう足掻いても学びしかないような場合とか。
『〇〇のプロが教える』みたいな。
それは素直に一旦吸収したほうがいい。
しばらくして自分の物になるのだから。
経験則では1ヶ月くらいは素直に時に傾倒して、その時は完全に信者じみてるのだが。
後々に今までの知識と併せて身になることを知っているから体を預けて学べるのだよ。
逆張ったりするのは後でいいんだ。
近況
そういえば俺はちょっと前に世界に歯向かおうって本気で思ったんだよ。
中二病とかじゃなくてだな。
そう思うならそう思ってもらっていいがお前の想像力はその程度なんだよ。
折角なら「この中二病野郎」とコメントを遺してくれないか。
「幸せ」とは、という内容を話し合う機会があって
そこで俺はもう既存の幸せなんて仕組まれたものであって、究極的にいえば「略奪だらけのディストピア」こそが人間にとっての謹製の幸せなんだと考えたんだよ。
これについてはまた今度書く事にするが。
あー、ちょっと書きたくなったからちょっと書く。
俺にとっての幸せは俺が決めるのが1番正確だと思うだろう。
俺もそう思うんだけど「そう思わされている」のだとしたら大変だ。
「車がほしい」と思うなら大変なんだよ。
俺は違うが。
俺が信じた最も確実な幸せは
『この誤差みたいな生命体である人間の中のただの一匹であるこの俺が、最悪地球だけでいいからブッ壊す』
簡単に説明すると
「歴史に名を残したい」の最上級版だよ。