
Bonneville がやってきた
1984年だったと思う。バイク雑誌で村山モータースの広告を見てからずっと心に引っかかっていた。とっくに生産終了になったと思っていたトライアンフのボンネビル。でも大型免許もなかったし、限定解除するだけの根性もなかったし、当時は愛車のCB400Fourになんの不満もなかったので、ボンネビルのこともいつしか忘れていた。
その後CBは盗難に遭い、貧乏暮らしだったこともあり手元に残ったのは1965年型のホンダCS50スポーツカブだけになった。クルマの免許も取ったけど移動の道具でしかなく、時々ひどいめまいに襲われる病気になって車も処分した。でもやっぱりバイクが忘れられず、いつの間にかお金さえ出せば取れるようになっていた大型免許も手に入れ、永年乗りたいと思っていた大型外国車を数台乗り継ぎ、いつのまにか手元にはあの頃心惹かれながらも手に入れられなかった2台、ベスパの125cc とヤマハのSDRがあった。そこに飛び込んだヤフオクのボンネビル。しかも昔雑誌で見た最終型のあのハリス。かつてのMeriden製を愛するエンスーたちからは毛嫌いされているハリスだったが、昔心を掴まれたのも間違いなくこのハリスのボンネビルだった。エンジンがかかるということ以外は何もかも不明だったけど、つい手に入れてしまった。
とはいえ勝算のない闘いを始めるつもりはなかった。英車は部品が比較的手に入るという話は昔から聞いていた。旧車に乗る上でいちばんの心配はいうまでもなく部品供給の有無。1980年代、ホンダはどんなに古いバイクの部品も注文さえすれば必ず用意してくれた。在庫がなければ作ってくれた。部品さえ手に入れば自分で直せる。現代のバイクは無理だが昔のシンプルなバイクならなんとでもなるだろう…などと考えを巡らせほとんど迷わなかった。そんなこんなでOHVツインのトライアンフを家に迎えたのだった。


2022年12月、不人気車ゆえOHVのボンネビルとしては格安に落札し、3台目のバイクとして我が家にやってきた。走行距離は5000km 以下。ホントか?