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連休の本屋にて

こんにちは。

昨日は本屋に行きました。高齢者の脳梗塞に関する本を買うために。
2週間前、義父が脳梗塞で救急車で運ばれて入院、血栓を溶かす治療中。
意識はしっかりしているけど右半身と声の出し方、言葉を発する機能が思うようにいかない。
来月の誕生日で88歳の義父
リハビリをしてどこまで回復するか、、
本を読んで少しは勉強しておこう。


それにしても、並んでいる本の多いこと。
タイトルは
自由な暮らし実現!
・自分軸で幸せになる
・幸運引き寄せ
・億万長者なるための〜


以前からこういうコンサル本やノウハウものはたくさん出版されて書店やネットでも売られています。
たくさんの人が手に取って読んで実践しているはず。それなのに
今現在も悩んで、解決策を探している人が多いのはなぜでしょう。
探し物が見つからない、または次から次へと悩みがわいてくる。
不安な気持ちをどうにかしたい。
迷ってばかりの自分、何か道しるべが欲しい。
そんな気持ちで本を手に取る人が大勢いると思います。


本当の幸せや充実感は別の場所にあるのでは?
本屋やネットの中にあるのは自分ではない【誰かの幸せ】【誰かの成功】

誰かのノウハウを真似して成功したとしても【何かが足りない】と感じるのです。
例えばその成功が

自由なお金がある
自由な時間がある
自由な働き方


これらが幸せや豊かさの定義のように語られています。

以前は私も経済的な自由を手に入れて何にも縛られず生きていたい!
それこそ真の自由でパーフェクト!

しかし最近は、そうでもないなと感じています。
充実感を得ようとするから充実しない。
満たされたいと願うから不足に目が行く
不自由もあっていい。
不自由を体験することで広がることに気付きます。

心に残っている事って思い通りにいかなかったことが多くないですか?
上手くいった出来事は忘れてしまう。

お菓子の取り合いで姉と大げんかした事
仲良かった友達と喧嘩した日
付き合いはじめより別れの日

つまらなくて腹ただしい出来事が今となっては幸せな時間に思えるのです。

最近ショッピングしていてよく思い出すことがあります。

高校生の頃からコムデギャルソンに憧れていました。高価だからもちろん買ってもらえず学生時代バイトしても手が届かなかった。
銀行員になり初の夏のボーナスでコムデギャルソンの黒のワンピースを買った時のうれしかったこと!
あの日の事は鮮明に覚えていてあの時の喜びを超える買い物はない、かも。

好きなものをお腹いっぱい食べれない。
好きな洋服を買えない。
行きたい場所に行けない。
そういう不自由さ、実は尊いのです。

世間が言う
【あなたはもっと出来る!】
【あなたの可能性はそんなもんじゃない】
という言葉に酔いしれないように。

世間は
足をとめるな
手を止めるな
声を発せよ
自分の頭で考えろ

いつもなにかをしていないと
じっとしていると取り残されて置いていかれるような錯覚に陥る。

なにもしていない自分、さぼってばかりいる自分
甘えてばかりの私、何の取り柄もない私
そんな自分はダメダメな人で幸せになんてなれない人だと
思い込んでしまっている。

SNSにはキラキラが溢れている。
【キラキラしてない人生なんてハッピーではない】と言わんばかり
きらきら可愛い服着てピンクやチョコのキラキラスイーツ食べて
充実した連休だったって?


目指すべきゴールを間違えると
いつまでたってもゴールに辿り着くことはないと思うのです。

経済的な自由がなくたって
制限されている生活であっても
自分自身が自分をもっと甘やかして
心から自分を信頼できたら
そこに幸せや充足感は生まれてくると思うのです


まあそうは言ってもミーハー気質もあるのでついついアレいいなこれいいな〜もっともっと~
の自分もいますけど。

人って厄介ですね。


最後まで読んでいただき
ありがとうございました。

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yaa
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