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【往復書簡:ひびをおくる】柳沼雄太001

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朝露と海鳴り

 海鳴りを聞いた気がする。空が鮮やかに白みはじめるころ、僕はふと目を覚ました。フロントガラスに流れる雨の滴を目で追いながら、つい数時間前のことを思い出した。

 昨日は彼女と付き合い始めて2ヶ月の記念日、そして彼女の誕生日だった。僕は花束を届けるつもりだった。彼女の誕生花であるクロタネソウを使ったささやかな花束を、近所の花屋に注文していた。しかし、昨日は予想外に仕事が立て込み、僕は約束の時間に家を出ることができなかった。なんとか仕事を終えお詫びのメールを彼女に送ると「大丈夫 無理しなくていいから」と素っ気ない返信がきた。

 絵文字も句読点もないメールは初めてだった。仕事が遅くなる旨を伝えなかったことが悪かったのか、そもそも休みを取るべきだったのか、お詫びの言葉を告げて次回会う予定を取り付けた方が良いのか、僕は迷った。彼女から伝えられた無機質な文字を見つめ、しばし放心していた。どれくらいの時間が経っただろうか、近所の花屋からの着信で我に返り、とりあえず僕は花束を受け取るために車を出した。

 彼女を驚かせるつもりだった。アパートの呼び鈴を鳴らすと彼女が顔を覗かせる。僕がお詫びの言葉を告げたあとに花束を差し出す。しかめ面が、驚きののちにいつもの柔らかい表情に戻る。まずはお詫びの言葉を伝えなくてはいけない。そんな使命感をひとりよがりに抱え込んだ。

 郊外の彼女のアパートに着いたのは、午前2時すぎだった。台所の小窓には明かりが灯り、彼女が起きていることが分かった。周囲に音が響かないように、ひそやかに呼び鈴を鳴らす。ものの数秒で、彼女の声が聞こえた。

 「なんで来たの。」
 「連絡できなかったこと、謝ろうと思って。」
 「そんなこと…。今じゃなくていいのに。」
 「今日会って言っておきたかったんだ。本当にごめん。」

 沈黙が流れる。彼女は今何を思っているのだろう。顔が見えないと不安だ。ドア一枚隔てた彼女の表情さえわからない自分に苛立ち、沈黙を破るように言葉を継いだ。

 「それに、昨日誕生日だったから、これを渡したくて。」

 たまらずドアノブを回すが、ドアは開かない。

 「渡したいものがあるから、開けてくれないかな。」
 「今は会いたくない。」

 その言葉を聞いて、ようやく霧雨が降りしきる微かな音に気が付いた。春の夜の雨は寒い。

 「どうして。怒ってるの。」
 「どういう状況か分かってる。とにかく帰って。今日は会えない。」

 彼女が玄関から離れてゆく気配がした。小窓の明かりが消えた。最後の一言は涙が滲んだ声のようだった。

 電話も繋がらず、僕は彼女に会うことなくその場を去らざるを得なかった。車に乗り込み暗闇を引き返した。不意に涙が溢れ、人気のない駐車場に車を止めた。結局、僕は何も理解できていない気がしたが、何を理解できていないのかが分からなかった。

 夜は霧雨に覆われていた。その音は、曇天の春の海を思い出させた。彼女がいつか行きたいと言っていた海辺を思い浮かべながら、僕は車の中で静かに目を閉じた。水平線と曇り空が曖昧に混ざり合う風景の中で、クロタネソウの花言葉が何度も響く。

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鳥野みるめ様

 こんにちは。梅雨が明けるのはまだ先のようですが、早くも真夏のような蒸し暑さを感じる日々です。とは言っても、平日はほとんど在宅勤務を継続しているので、眩しい陽射しを全身で感じる機会が少なくなり、どこかもったいないような気もしています。

 先日はお手紙をありがとうございます。お手紙を読んで、みるめさんの鎌倉での生活の一部がつぶさに伝わってきました。洗濯物を干すこと、スーパーや本屋との物理的な距離感、丈の長さが合わないカーテン、どれをひとつとっても、少し要領を得なくて、でもいつかは慣れていって。そんな動作を繰り返すことで、徐々に生活が実感できるようになることを応援しています。

 一度離れた町に戻ると、町並みの見え方や感じ方は変わりますか?みるめさんが以前に住んでいた時との心境の変化が気になります。

 僕は最近『本屋さんしか行きたいとこがない』(島田潤一郎)という本を読んでいます。吉祥寺で出版社を営んでいる著者のエッセイをまとめた本です。その本の中に「知らないものに出会いたいから、僕は毎日のように本屋さんに行くのだ。」とあります。自分の胸の内を知られたようで、ハッとしてしまいました。知らないものを知るためではなく、知らないものに出会うために本屋に行くこと。自分が本屋で感じるときめきを改めて確認したような感覚になりました。

 ほか、手紙の便箋をどれにしようか迷ったり、無印でライトブルーの半袖を買ったり、間借りの棚でのフェアを密かに計画したり、自分の中でのささいなときめきを信じて日々過ごしています。

 小説は、みるめさんの写真を見ながら、頭の中に広がる物語を書きました。味わって読んでもらえたら嬉しいです。

 この夏は鎌倉のみるめさんのお家に遊びに行きたいです。この暑さも、井上蒲鉾店のさつま揚げと冷酒と一緒くたに楽しみたいですね。もちろん、背伸びをすると見える海を見ながら。

 2020.07.04

                         書肆 海と夕焼
                           柳沼雄太

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写真家・鳥野みるめさんと始めた往復書簡。
今回は私が小説を送ります。

不器用な若い男性をめぐる小説。
みるめさんが見た一瞬から紡いだ小説が、どのような光景として映し出され続いてゆくのでしょうか。

慣れない手紙もしたためて、やがて届く日を待ちわびることの緊張感と期待感に胸の高鳴りを感じます。

写真と物語と手紙。そして、東京と鎌倉の生活。
それぞれがつながる瞬間を、少しずつ感じてゆきたいです。

2020.07.09 柳沼雄太

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