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英語だけでいい?

講座&ワークショプに参加しました。
タイトルは「多言語に触れて育つと未来が変わる⁉︎」
講師のお話はとてもエネルギッシュで面白く、身近に感じられるものでした。そのお話を少し紹介します。

結婚後、ご主人の仕事で香港に6年ほど住んで、その間に息子さんと娘さんが生まれ、息子さんが5歳、娘さんが1歳の時日本に戻ってきた。

香港では現地の人は主に広東語を話しているけれど、せっかく英語が話せるようになるかもしれないチャンスと思い、とにかくどこでも”English please. “ で押し通した。

子どもも幼稚園年代からインターに入れて、日本に帰る5歳の頃には5歳なりの英語が話せたけれど、日本に帰ってから親がどんなに頑張って英語で話しかけたりしていても、あっという間に日本語になってしまった。

なんとか息子の英語を残したいと思っていた頃、ヒッポファミリークラブに出会い、親子で参加するように。

高校生の時10カ月のフランス留学をし、今は大学生になった息子は、「何語が話せるの?」と訊かれた時、「話せるっていうのは目の前の人と気持ちを通い合わせることができるって事でしょ。何語でも話せると思うよ。」というふうに答えた。息子に大切な事を教えられた気がした。

娘はことばが遅く、2歳になってもあまりハッキリ話せなかった。泣き喚いたり、床に転がったりととても育てにくかった。牛乳が大好きで、「おったった!」と要求し、牛乳を渡すと満足していたので、娘にとっては「おったった」が牛乳を意味することばだと思っていた。

幼稚園に通うようになり、だいぶんことばもハッキリとしてきた時、「お腹すいた」と娘が言ったリズムとメロディーが「おったった」と同じと気づいた。

思い返してみれば、娘が泣き喚きて何かを要求していた時、「お腹すいた?」と言って牛乳を渡したことがよくあった。そのことばを言えば大好きな牛乳がもらえるというシチュエーションまるごとを指すことばだったんだ〜 でも、こどもは教えなくてもそれは「牛乳」だと自分で見つけていく。

ヒッポの活動を始めて広東語の音源を聴いたら、聞いたことのある、馴染みのあるリズムとメロディーで、あっという間に真似できるようになった。香港ではずっと避けていたはずの広東語なのに。真似して口ずさんでいると、自然と単語の切れ目がわかって意味もわかるようになった。これって赤ちゃんがことばを見つけていくのと同じなのかな。娘が「おったった」から「お腹すいた」や「牛乳ちょうだい」を見つけていくように。

何年か後に香港に行って旧友に会った。住んでいた頃はずっと英語で話していたから意識していなかったけど、フィリピン、インドネシア、ホンジュラスなど様々な国の人がいた。フィリピン人の友達には自然とタガログ語で挨拶する自分に変わっていた。相手の母語を少しでも話すことで相手との距離がグッと縮まった。英語だけあればいいと思って暮らしていた時とは、見えるものが全く変わった。たった数日の滞在で、何年も英語だけで付き合っていた友人たちと、その頃よりずっと仲良くなれた気がした。

そんな感じのお話でした。

そういえば、生まれた時からヒッポの多言語環境で育ってきた息子も大学生の時、旅行先で「ここ中国人や韓国人多いね」って一緒に行った友達に言ったら、「なんでそんなことわかるの?」って訊かれて、周りでこんなに飛び交っている中国語や韓国語が友達にはまるで聞こえていないことにビックリしたと話してくれた。
エレベーターに乗ったら周りがみんなロシア人だったから、思わず「ズドラストヴィーチェ」って挨拶しちゃった、なんて話をしてくれたこともあった。

日本でも日本人だけじゃなく、色んな国のルーツを持つ人が暮らしていたり、旅行に訪れている。

挨拶だけできても何になるの?という考え方もあるだろう。

でも私は
「ことばを大切にすることは、そのことばを話す人間を大切にすること」
「多言語人間っていうのは、どんな人をも飛び越えず、すべてのことばに開かれた心なんだよ」
という、多言語活動を始めた榊原氏のことばに共感して、この活動を長く続けているんだなぁ。


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