自由に放り出されて

朝の時間を間違えて2時間も早く家を出てしまったこと、電車を降りてから気がついた。コーヒーを飲みにきた。こういうことなら、むしろ眠い目こすった甲斐はあるね。フレンチロースト飲んでゆっくり吸って吐き出すと心が天まで昇る気持ち。慌ただしい朝が一気にスローになったからだろう。

昨日の晩に、ずっとあたためてたことを書いてしまった。書いてしまえば、もうあとはこれからの話を存分に。今日からははここで僕の夢見がちな計画をいや。というほど見られるよ。

白紙がひらひら降りてきたちょっとした興奮の中で早速、むこうの人へ電信をとばす。ほとんど一言だけなんだけどね。たしかに僕はまた戻るってことを約束して帰ってきてしまっているので。僕は卑怯なやつかもしれない。

ペリカン時代という大好きな店がある。あそこは不思議だ。知らない人と話がどんどんと弾んでいく。面白い人が集まってくる。8席ほどのカウンターは6席目ぐらいからくの字に折れる。その端と端でも会話が広がることはよく起こる。たぶん僕が最後にペリカンへ行った夜、隣に座った荻原魚雷さんが自分の本を僕に一冊くれた。札幌の大きな書店で魚雷さんの本を一冊買った。質素ながらも贅沢とよろこびを感じられる生活の知恵のようなものが書かれたエッセイだ。雪解けの頃、時間が経ったら僕はひとりを暮らしていくんだと確信に似た気持ちで読んだ。仕事を探していた頃だったな。半年以上読みかけのままこっちを向いて棚の上に立てかけてある。また途中から読もう。たしかそこに魚雷さんの名刺が挟んである。魚雷さんは知り合いの不動産を紹介できるよと言ってくれていた
。また隣の席に座ることがあったら本に書いてたあれを試してみたんですよなんて話せたらいいな。

心配ごとといえば、お金をやりくりできるのかぐらいのくだらないもので、果たして僕はひとりで家を借りれるのかもわからない。今度こそはイメージ以上の景色を必ず見るぞ、という自分からの強い圧力を楽しんでいる。むしろここにいる自分はどこまでも甘えてしまってもうずっと嫌気がさしてる。環境のせいにするのとは違う。環境は自分をとりまくものだ。よしあしは人によってあるに決まっている。僕は自分が気持ちよくいられる環境を作ろうとしている。楽しめるに決まってるじゃんね。

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