普通のパンと種なしパン
説教音声データ
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聖書日課
2023年4月30日(日)の聖書日課
交読詩編:78編23〜39節
旧約聖書:出エジプト記 16章4〜16節
新約聖書:ヨハネによる福音書 6章34〜40節
はじめに
皆さん、おはようございます。日本キリスト教団の教師“だった”柳川真太朗です。以前、豊明新生教会に来させていただいたのは、2018年の2月に行われた「冬の讃美礼拝」の時でした。名古屋学院大学の聖歌隊の学生たちと一緒にお招きいただいて、礼拝の中での説教と賛美の奉仕、そして、礼拝後の修養会では講演もさせていただき、非常に充実した時を過ごさせていただきました。今でもとても良い思い出として記憶に残っています。その節は本当にありがとうございました。
あれから5年という月日が経過しまして、その時とはガラッと立場が変わり、今は「聖公会(日本聖公会)」という教派の中部教区で「信徒宣教者」という役割を担っております。つまり、日本キリスト教団から日本聖公会に移籍をした、ということになります。聖公会という教派の一信徒でありながら、同時に、教師や聖職者ではないんですが、礼拝の中でお話をしたり、特別な奉仕をしたりしています。もちろん、ゆくゆくは聖公会の「司祭」ですね……、聖職者として働いていきたいと思っていますので、今は、言うなれば、聖職になるまでの学びと訓練の期間を過ごしている、と思っていただければ良いのではないかと思います。
まぁ、そのように日本キリスト教団から日本聖公会に移籍することになった背景には“いろんな事情”があったわけなんですけれども、それにつきましては、「“いろんな事情”があったんだなぁ」ということで、どうかご理解をいただければと思います。ただ一つ言えることは、すごくポジティヴな、前向きな理由で「聖公会への移籍」という決断をした、ということです。聖公会という教派に“魅了された”と言っても良いかもしれません。
キリスト教には、いろんな教派があります。カトリック教会、東方正教会、聖公会、そしてプロテスタント諸教会などですね。聖公会という教派は、カトリックとプロテスタントの中間に位置しているとよく説明されます。思想的にはプロテスタント寄りだけれども、組織の在り方や礼拝の雰囲気などはカトリック寄り、というような感じです。僕はそういう、プロテスタントとカトリック、両方の良い部分を兼ね備えている、ハイブリッドなところに魅力を感じて「聖公会って良いな」と思うようになりました。もちろん、他にも移籍を決断するに至るまでには様々な理由があったわけですけれども、第一の理由としてはそれですね。
様々なキリスト教の教派
皆さんの豊明新生教会が所属している「日本キリスト教団」はUnited Churchと言われますように、様々な教派的な背景を持った教会が、同じ一つのプロテスタントのグループを構成しています。豊明新生教会は「バプテスト」という教派の流れを汲んでいると、安達先生からお聞きしています。他にも「組合派」「メソジスト」「ホーリネス」「長老派」など、多種多様な教派的背景を持つ教会が「日本キリスト教団」という組織を形作っています。それらの教派色をどれくらい強調するかは、教会ごとに違っているわけですけれども、そのような色の濃淡はあれど、事実として、日本キリスト教団はあらゆる教派の影響を受けているグループなのだということを、今日、皆さんにはあらためて覚えておいていただきたいと思います。そして、日本キリスト教団という組織の内にも外にも、様々な教派が存在しており、今日はその中から「聖公会」という教派の人間が、このように、「バプテスト」の流れを汲む教会でお話をしている……という、その奇妙さと、面白さを、ご一緒に味わうことができればと、そのように願っております。
種なしパンを使う理由
さて、今日は冒頭から、キリスト教の「教派」の話をさせていただいておりますけれども、キリスト教の教派には、それぞれに違いや特色がある、ということは皆さんご存知のことと思います。その中でも、本日、特に取り上げたいのは「聖餐(聖餐式)」に関してです。パンとぶどう酒の……アレですね。パンとぶどう酒のアレについては、教派ごとに呼び方が違っておりまして、「ミサ」「聖体拝領」「聖体礼儀」「主の晩餐」、あるいはそれらを包括的に指す言葉として近年では「ユーカリスト」という呼び方をしたりするんですけれども、ユーカリストなんて言っても、皆さん聞き馴染みもないでしょうし、僕自身も普段から使い慣れている言葉ではないので、今回は便宜上「聖餐式」ないし「聖餐」と呼んでおこうと思います。
皆さんのこの豊明新生教会では、聖餐式の際に、どんなパンとぶどう酒を使っておられるでしょうか?【豊明新生教会は、コロナ前までは食パンを使っていましたが、今は個包装のウェハースを使っているそうです】
……聖公会では、普通のパンは使いません。その代わりに、ちっちゃい“エビせん”みたいなものをパンと呼んで使っています。パンの原材料というのは、通常は、小麦粉・水・塩、そしてパンを膨らませるための酵母(イースト)ですけれども、聖公会のパンは、小麦粉と水のみで作られます。イーストが入っていないので、膨らまないぺったんこの「種なしパン」なんです。
どうしてわざわざそんなパンを使うのかと言いますと、それは、聖餐式という儀式が、イエス・キリストの最後の晩餐と関連しているからです。イエスが十字架につけられて処刑される直前の夕方、彼は弟子たちと一緒に食事をしたわけですけれども、新約聖書の伝承によりますと、その食事は、ユダヤ教の「過越祭」の食事だったとされています。過越の食事では、通常のパンは使いません。ユダヤ人たちの祖先であるイスラエルの人々が急いでエジプトから脱出したことを記念するために、パン種を入れて膨らませない「種なしパン」を食べます。いちいちパン種を入れて発酵させてじっくり美味しく作ってるヒマなんて無かったんだよ、ということですね。キリスト教会はそのように、イエスの最後の晩餐が過越の祭りの食事とちょうど重なっていたという伝承をもとに、聖餐式の神学を積み重ねてきた。だからこそ、キリスト教会(特に聖公会や、その前身であるカトリック教会)は、伝統的に“種なしパン”を使ってきている、というわけなんです。
どうして普通のパンを使うのか?
そうすると、ここで一つの疑問が湧いてきます。「どうしてプロテスタント教会では“種なしパン”を使わないのか?(どうして普通のパンを使っているのか?)」ということです。今日のお話はここが最も重要なポイントです。キリスト教では伝統的に“種なしパン”が使われてきた。でも、現代のプロテスタント教会では“普通のパン”が使われている。それは何故なのか?
実は、先日、聖公会の教会で、同じ質問を信徒の方々から受けたんです。「どうしてプロテスタントでは“普通のパン”を使うの?」って。そのときに僕は、「そうですねぇ……。聖餐式に対する考え方が違うからだと思います」っていう曖昧な答え方をしてしまったんですけれども、本日の聖書の箇所が「命のパン」(ヨハネ6:35)に関する箇所であるということもあったので、このお話の準備の期間中、聖餐式に関して徹底的に調べました。聖公会・プロテスタント・カトリック問わず、いろんな本を読み漁りました。いま、僕の家の仕事スペースは、聖餐式関係の本が散らばっていて、まさに“凄惨”な光景が広がっています。
そのおかげで、知識量としては、大学の授業一コマできるくらいのものが得られたんですけれども、それを全部お話するわけにはいきませんので、残りの15分くらいの時間を使って簡潔にまとめたいと思います。
聖餐式の歴史
まず大前提として、どうして教会は聖餐式という儀式を行うのか、ということを抑えておかなければなりません。どうして教会は聖餐式という儀式を行うのか。それは、イエスがそれをしなさい、と命じたからです。聖餐式が行われる際、毎回、必ず読まれる聖書の言葉があります。せっかくですので、今回は聖公会バージョンでお読みしたいと思うのですけれども……。
「主イエスは渡される夜、パンを取り、感謝してこれを裂き、弟子たちに与えて言われました。『取って食べなさい。これはあなたがたのために与えられるわたしの体です。わたしを記念するため、このように行いなさい。』また食事の後、杯を取り、感謝して彼らに与えて言われました。『皆この杯から飲みなさい。これは罪の赦しを得させるようにと、あなたがたおよび多くの人のために流すわたしの新しい契約の血です。飲むたびにわたしの記念としてこのように行いなさい。』」
イエスは、最後の晩餐のときにこう弟子たちに命じた。だから、後のキリスト教会は、パンとぶどう酒を使って、イエスを記念する儀式を行なってきた、というわけなんですね。先ほどもお話しましたけれども、イエスの最後の晩餐は、ユダヤ教の過越の食事であったという伝承があります。ですから、このときのパンは、普通のパンではなく“種なしパン”だった、と教会は理解してきました。
しかし……なんです。非常に興味深いことに、イエスがこの世からいなくなった後、教会はすぐに“種なしパン”を使い始めたわけではなかったんですね。新約聖書を読んでみますと、そこには確かに、イエスの弟子たちが定期的に集まって、みんなで食事をすることを大切にしていたことが記録されています。ですが、彼らの食事は、パンとぶどう酒だけを分かち合うものではなかったんですね。そうではなく、実は、ごく普通の食事をみんなでしていたわけなんです。「普通の食事」と言っても、現代の我々の食事とは全く違うでしょうけれども、パンのほかに、お肉や野菜、果物、スープなど、様々な食べ物が食卓に並んでいたはずです。もしかすると、ぶどう酒は無かったかもしれない。その代わりに「水」が飲まれていた可能性があります。ぶどう酒は、お祝いのときに飲まれるものでしたからね。ただし、キリスト教徒たちが集まって食事をすることは“特別なこと”なのだと理解されるようになってからは、おそらく比較的早い段階で「ぶどう酒」も用意されるようになったはずです。しかしいずれにせよ、最初期のキリスト教会で行われている「共同の食事」というのは、実は“普通の食事”だったわけなんですね。そう考えますと、その食卓に置かれていた「パン」……、そのパンは果たしてどんなパンだったか。何度も言いますが、彼らが行なっていたのは普通の食事です。ですから、その食卓でみんなで分け合っていたパンは、“種なしパン”ではなく十中八九“普通のパン”だったと考えるのが妥当なんですよね。彼らはふっくらフワフワのパンを、ユダヤ教の伝統に従って、分け合ってみんなで食べていたということなんです。
しかし、教会という組織が徐々に発達してきて、福音書やその他の新約聖書の文書などが書かれるようになってくると、それに合わせて、ユダヤ教やローマ帝国からの迫害が激しくなってきました。彼らは集まること自体、難しくなってきたんですね。だから、彼らはこっそり、周囲の目を盗むようにして集まるようになった。そうしますと、集まって食事をすることが“特別なこと”になってきたんですね。彼らの共同の食事は、普通の食事ではなくなった。それに合わせて、彼らの食事の内容も変わってきます。食卓に並ぶ食べ物は、どんどん簡素なものになっていきます。その時代には既に、福音書やパウロの手紙にあるように、パンはキリストの体、ぶどう酒はキリストの血、という考えが信者たちの間に広がっていましたから、それを記念するために、彼らの共同の食事は、最終的には「パン」と「ぶどう酒」を分け合うだけの時間となっていきました。これが、聖餐式の“起源”というわけなんですね。念のため申し上げておきますと、この時もまだ、パンというのは“普通のパン”が使われていました。つまりユダヤ教の「過越の食事」とは分けられて考えられていたということです。
聖餐式の衰退
ところが、パンはキリストの体、ぶどう酒はキリストの血、という考えが教会の中に浸透していくようになりますと、次第に人々は、それらを分け合うことが「キリストの犠牲」の再現であると考えるようになっていきました。今ではあまり考えにくいことですけれども、初期のキリスト教会では、聖餐式に使われるパンとぶどう酒というのは、教会が用意するのではなく、信者たちが自発的に各家庭から持ち寄るものだったんです。それは、自分たちの食べ物をみんなで分かち合うという考えに基づいています。でも、パンとぶどう酒を持ち寄るという考えから、パンとぶどう酒を教会のために「献げる」という考えに変わっていきます。そうしますと、かつて、神殿があった時代のユダヤ教徒たちがそうであったように、キリスト教の信者たちもまた、教会に奉献したものを“犠牲としてささげる”というように理解するようになっていったんですね。ここから、聖餐式は「犠牲」の祭儀、特に「キリストの犠牲」の再現という理解が教会の中に蔓延していくことになります。
それと同時に、聖餐式で分けられるパンとぶどう酒は、単なる象徴ではなくて、それら自体に何か“神秘的な力”があると誤解されるようになっていったんですね。2世紀の半ば頃には、聖餐式が終わったあと、聖餐式に出席できなかった病人たちのもとにパンとぶどう酒が届けられるという習慣があったことが伝えられています。それだけを聞くと「初期の教会は親切だったんだなぁ」と思っていますようなエピソードですけれども、おそらくそれは、聖餐式のパンとぶどう酒は、病気を癒す力があると信じられていたからだろうと思われるわけです。聖餐式に呪術的な要素が含まれるようになっていったということなんですね。
このことは、後の時代に聖餐式という儀式の衰退をもたらすことになります。聖餐式は、いけにえを献げる行為ですから、やればやるほど意味がある……ということになってきます。質よりも回数が重要になってくるんですね。しかし、それと同時に、そのいけにえであるパンとぶどう酒を食べるということに対する畏敬の念が信者たちの間に広がっていくようになりました。新約聖書の中でパウロも「ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります」(一コリ11:27)と書いているように、自分は聖餐式のパンとぶどう酒をもらうにふさわしいのかどうか、慎重に考えるようになっていって、その結果として、人々はパンとぶどう酒をもらわなくなっていってしまったんですね。パンとぶどう酒は、教会の指導者たちが分けて飲み食いするもの、信者たちはその様子を見るだけ、というような状況になっていってしまったわけです。
聖餐式は共同の行為ではなくなった
キリスト教は、社会情勢の変化とともに、西側と東側に分裂していきます。東側のキリスト教、つまり東方教会は、独自の発展をしていきました。僕は、まだ東方教会の事情に関しては詳しくないので、今回は東方教会のことを取り上げるのは止めておこうと思いますけれども、一つだけ、お伝えしておかなければならないことがあります。それは、東方教会は、古代からの教会の習慣に従って、聖餐式では“普通のパン”を今でも使い続けています。
しかし、西側の教会、つまりローマ・カトリック教会では、パンの性質と形状が変わっていきます。つまり、“種なしパン”が使われるようになっていったんですね。イエスの最後の晩餐が、ユダヤ教の過越の食事であったということに注目が集まるようになったということです。
9世紀以降のローマ・カトリック教会では、“種なしパン”を使うことが慣習となり、そしてそれは後に“義務”となっていきました。しかし、ただでさえ、その頃の信者たちは、聖餐式にあずかることを恐れて、パンを食べなくなっていました。せっかく教会にパンとぶどう酒を献げ物として持ち寄っていたにもかかわらずです。でも、“種なしパン”が聖餐式で使われるようになると、余計に信者たちにとっては、自分たちには関係ない儀式というように考えるようになり、彼らは、各家庭のパン(及びぶどう酒)を教会に奉献することを止めるようになってしまったんですね。
このようにして、聖餐式という儀式はもはや、キリスト教徒たちによる共同の行為、全員による分かち合いの儀式ではなくなってしまいました。祭壇で聖職者たちによって演じられる「キリストの犠牲」という儀式的なドラマとして認識されるようになっていき、会衆は単なる観客となりました。そのドラマを「見る」ことが会衆の役割となってしまったわけなんですね。
さらに聖職者たちは、(人々の言語ではない)ラテン語でミサを進め、しかも、ボソボソと聞き取れないほど小さな声で行われるようになりました。つまり、会衆は「聞いて理解できない」だけでなく「聞く」ことすらできなくなってしまったんです。
宗教改革による聖餐式の回復
このような状況が、あの「宗教改革」の機運を高めていくことになります。聖餐式は「キリストの犠牲」という考え。これは、イエス・キリストの十字架上での死が“不十分”である、と言っているようなものだと、ある神学者たちの目には映りました。イエス・キリストの犠牲はたった一度の完全なものだったはずだ!ということなんですね。
それゆえ、マルティン・ルターに代表される宗教改革者たちは、聖餐式を「犠牲」と呼ぶことに反対しました。彼らは「聖書」に立ち返ることで、神の民による共同の行為、全員による分かち合いという、聖餐式の本来の目的を取り戻したわけです。
聖公会の最初期の指導者であったトマス・クランマーもまた、大陸の改革者たちと同様の考えを抱くに至りました。元々彼は、かなり保守的な聖職者だったんですけれども、彼はキリスト教の古い指導者たちや他の宗教改革者たちからの影響を受けて、聖餐式を「犠牲」として捉える考え方から離れました。そして、聖餐式のパンとぶどう酒そのものが、キリストの体と血に実体として変わる、という教理から、信仰によって、聖餐式のその場にキリストが臨在されるのだという立場へと転向したわけなんですね。
ただし、聖公会という教派は、先ほどもお話しましたように、その後も“種なしパン”を使い続けて今に至ります。それは、当時のカトリック教会の伝統すべてを否定したわけではなかったからです。ですから、今もカトリック教会と同じように、あるいは現代のカトリック教会よりも古い形式で、教会を運営し、礼拝をささげています。それは、古いものに固執するというわけではなく、良いものは残していくスタンスなのだと僕は理解しています。
その他のプロテスタント教会は、もっと大胆に改革を行なっていきました。そして、その中で、“種なしパン”ではなく“普通のパン”を使って聖餐式を執り行うということにも着手するようになったんですね。“普通のパン”を使うようになったのはひとえに、最初期の教会の伝統に立ち返ろうという考えのあらわれです。初代の弟子たち、あるいは、イエスの時代から、彼らは“普通の食事”を大切にしていた。福音書の中にも、イエスがありとあらゆる人たちと“普通の食事”をしていたことが記されていますよね。イエスの食事には、何の障壁も、誰かと誰かを隔てる壁も無かった。すべての人に開かれた食事だったわけです。その“原点”に立ち返ろうという精神が、現在、多くのプロテスタント教会で行われている“普通のパン”を使った聖餐式の根底には据えられているのだということを、ぜひ皆さんには、今一度、心に留めておいていただきたい……、そのように願って、今日のお話を準備してまいりました。
おわりに
聖餐式は、キリスト教の中心です。キリスト教の中核に位置している大切な儀式です。しかし、実はその更に内側に、もっともっと大切な、絶対に欠かすことのできない精神が備えられているのだということを忘れてはいけません。それは、「集まる」ということです。プロテスタント教会では、ほとんどの場合、毎週の日曜日に聖餐式が執行されるということは無いと思います。今日もそうですよね。聖餐の伴わない礼拝がささげられています。それは、このように「集まる」ということこそが、キリスト教の中で最も大切なことだからなのです。カトリック教会でも、聖公会でも、その他の伝統的な教派でも、聖餐式を行わない礼拝がありますし、あるいは、聖餐式をそもそも行わない教派(無教会や救世軍など)でさえ、やはり「集まる」ということを何よりも大切にしています。集まる、というよりかは「ともに繋がる」と言ったほうが良いかもしれませんね。
本日の福音書の箇所に記されていた、イエスの言葉、「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」(ヨハネ6:35)は、伝統的に聖餐式という文脈の中で理解されてきましたけれども、決してイエスは聖餐式のことを言ったわけではありません。そうではなく、イエスのもとに集まり、みんなで繋がっていれば、飢えることも渇くこともない……、そういうことを言おうとしたのだろうと思います。だから、最初期の教会は、みんなで一つの場所に集まり、食べ物や飲み物を分かち合った。そうすることで、裕福な人も貧しい人も、一緒に平等に飲み食いできるからです。決して飢えることも渇くこともない、というイエスの精神をまさに身をもって体現していたわけです。
コロナ禍で、なかなか集まることができなかった今までの3年間。それはまさに、キリスト教の試練の時代でした。しかし少なくとも今は、こうして集まることができています。この喜びをしっかりと味わい、感謝しましょう。そして、我々だけでなく、我々一人一人が、他の誰かと繋がり、そうして、イエスを中心とした「社会」という一つの共同体を形作っているということを再確認して、これからの日々をご一緒に過ごしてまいりたいと願っております。
お祈り
全能の主なる神様、今日も私たちをこの場へと集めてくださったことを感謝いたします。私たちは、キリストという命のパンのもとにあって一つであり、養われ、生かされています。その恵みを私たちがいつも心のうちに受け入れることができますように。そして、私たちが今、あなたからいただいている恵みを、世のすべての人たちとも分かち合い、共に生きることができるように、どうかこの礼拝の場から私たちのことを派遣してください。
父と聖霊とともに一体であって世々に生き支配しておられる主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン