あなたの人生そのものが説教となる 〜柳城学院創立者マーガレット・ヤングの信仰〜
音声データ
聖書箇所
2024年11月04日(月)の聖書箇所
『葬送の儀 ―逝去者のため― 改訂新版』、「逝去者記念の式」より
福音書:ヨハネによる福音書 14章1〜6節
はじめに
どうも皆さん、「いつくしみ!」
本日、ここ八事共同墓地におきまして、皆さんとご一緒に、中部教区の墓前礼拝をおささげしておりますことを、大変嬉しく思っています。
礼拝というのは、ほとんどの場合、教会の中で行われるのが普通かと思いますけれども、こうやって、教会の外にみんなで集まって、自然の風を感じながら、一種の“野外礼拝”のような時間をご一緒に過ごすことができているというのも、墓前礼拝ならではのことですし、非常に新鮮で、貴重な体験ができているなと感じています。しばらくの間、自然の空気に包まれつつ、心静かに、この墓前礼拝のときを過ごしてまいりたいと思います。
中部教区149周年、柳城学院126周年
さて、皆さんに関しては、おそらくほとんどの方が、久しぶりにここにいらっしゃったのではないかと思いますけれども、僕は、じつは先週ぶりなのですよね。3日前のことになりますけれども、11月1日、先週の金曜日に、僕は香織先生や、ほかの柳城学院の関係者の方々と一緒に、ここに来て、(あちらにあります)創立者であるマーガレット・ヤング先生のお墓の前で、墓前礼拝をおささげしたのですね。
柳城学院という組織は、今年、創立126周年を迎えました。我々中部教区は、今年、宣教開始149年を迎えましたので、23年ほど遅れる形で、柳城学院の活動はスタートしたということになります。しかし、どちらの場合も、100年以上前、明治時代の話です。欧米諸国との本格的な貿易が始まって、数十年が経っていましたけれども、まだまだ、当時の日本の人々は、キリスト教の伝道はおろか、医療の分野でも教育の分野でも、西側世界とは比べ物にならないレベルのものしか得られない状況にありました。そのような中で、たとえば(先月の教区研修会でも話題になっていましたけれども)、新潟のパーム先生は“医療伝道”という形で、中部教区の基礎を築いていかれましたし、また、マーガレット・ヤング先生は“保育”の分野で地域社会に貢献しつつ、キリスト教を宣べ伝える働きを担われました……。そんな、彼ら彼女らの働きというのは、この中部教区の地域に住む多くの人々にとって、非常に大きなものだったのだろうなと思うのですね。
死の恐怖とキリストの励まし
ところで、先日の柳城学院の墓前礼拝では、僕がお話を担当させていただいたのですけれども、その時に一つ、ヤング先生に関するエピソードを皆さんにご紹介したのですね。ヤング先生が心に抱いておられた、キリスト教信仰と、“子どもたち”への思い、そして、この墓前礼拝のテーマとも言える“生と死”に対する理解……、それらがどれも色濃く反映されているエピソードです。どんなお話だったか、せっかくですので、皆さんにもご紹介させていただきたいと思います。
今から105年前の1919年5月に、カナダ聖公会伝道協会(MSCC)の機関誌(“The Mission World”)に収録されていた、ヤング先生の報告です。次のように書かれています。
2週間前、私[マーガレット・ヤング]は、かつて幼稚園を卒園したお子さんのお葬式に参列しました。17歳の女の子だったのですが、結核を患って、長い闘病の末、亡くなったのです。その子は、6ヶ月もの間、(隔離された環境で)病と向き合わなければなりませんでした。彼女のお母さんは、時に、その子のことを気の毒に思いつつ、「辛いだろう、病気になって、苦しんで、閉じ込められて」と声をかけていましたが、女の子のほうは、そのたびに、「イエス様の愛のおかげでとっても励まされています」と言って、朗らかに答えていました。
……このように書かれています。ヤング先生の幼稚園でキリスト教と出会い、その後、17歳で亡くなった一人の女の子のお話です。その女の子は、本当は、病気や死というものが怖かっただろうと思います。誰だってそうです。キリスト教を信じている者であっても、死は恐ろしいものです。しかし、その女の子は、幼稚園や教会で繰り返し聞いている聖書のお話によって、“死の恐怖”とは別に、“イエス・キリストの愛”が、自分の中にあって、病床に伏す自分のことを絶えず励ましてくれているのだと、お母さんに語っているのですね。
おそらく、お母さんはキリスト教の信者ではないと思われますけれども、自分のことを心配してくれているお母さんを、むしろ励ますようにして、彼女は明るく朗らかな様子で、キリスト教の愛を証ししたわけです。
人生そのものが“説教”となる
このお話には、実は、続きがあります。ヤング先生は、その女の子のお葬式に関して、次のように報告しています。
教会には、(彼女のことを偲ぶため、)およそ120人もの女学生たちが集まりました。みんな、彼女のクラスメイトです。彼女の来歴が話されている間、涙を流さない者は一人もおりませんでした。そのあと、牧師さんが立ち上がって、一言二言、お話をなさいましたが、私にはもはや説教は必要ありませんでした。なぜなら、その若き女の子の人生そのものが、説教だったからです。お家でも、(教会の)サンデースクールでも、学校でも、そして彼女のお家の近所でさえ、(彼女の人生)すべてが、彼女(に与えられた)“善いもの”を証ししていました。彼女は、幼稚園に通っているときから聖歌を好み、聖書の御言葉に親しんでいたのですが、それは、彼女にとって深い意味があるものだったのだと、(牧師さんは?)話をしてくださいました。
……と、このように綴られておりました。17歳という、あまりにも短すぎる人生。しかし、ヤング先生は、その女の子が17年という年月の中で、幼いころに触れたものを忘れることなく、誠実に生きようと努め、そして最期のときまで、心の中の“善いもの”を手放さなかった……、それによって彼女の周りの人々は、まさしく、彼女の人生そのものを通して“聖書の教え(説教)”を聴いていたのだ、と述べておられるわけです。
僕は、このエピソードの中で語られておりましたように、信仰者の人生というのは、それ自体が“説教”になる――という、そのヤング先生の言葉に、心から賛同したいと思うのですね。「説教」というのは、何か聖書に関する決まったことを話すだけのものではありません。御言葉を語る者が、まず聖書に聴き、それを自分の中で咀嚼し、吟味し、そして、語るべき相手のことを思いながら作り上げていく……、それが「説教」であるわけです。ヤング先生が書いておられた、信仰者の人生そのものが語る「説教」というのも、同じですね。神から賜った“善いもの”を持っている者として、出会う人、出会う人それぞれのためを思いながら、愛を持ってその人たちと接する。そこに、神の御言葉は目に見える形で受肉し、“善いもの”が証しされるのだろうと思います。
おわりに
来年、中部教区は宣教開始150周年を迎えます。その長い歴史の中には、数多くの信仰者たちの人生があったのであり、それぞれの歩みを通して、御言葉は中部教区の地域全体へと語り続けられてきたのだということを、今日あらためて、ご一緒に心に覚えたいと願います。
そしてまた、我々もその歴史の一部として、今、この時代を生かされています。これまでの時代とは、また違う形での大変さ、困難さのなかで、我々は歩んでいくことを余儀なくされていますけれども、かつての聖徒たち、中部教区の多くの先達たちが、最後には神の御もとへと招かれていったことを覚えつつ、どのような時であれ、互いに支え合い、励まし合いながら、一人ひとり、心のなかに“善いもの”を持っている者として、ともに「イエス・キリストという“道”」を最後まで歩み続けてまいりたいと思います。
……それでは、礼拝を続けてまいりましょう。