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喜びという花を咲かせ、幸せという実を結ぶ

奨励音声データ

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詩編・聖書日課・特祷

2023年7月16日(日)の詩編・聖書日課
 旧 約:イザヤ書55章1〜5節、10〜13節
 詩 編:65編9〜13節
 使徒書:ローマの信徒への手紙8章9〜17節
 福音書:マタイによる福音書13章1〜9節、18〜23節
特祷
主よ、憐れみの耳を傾けて、僕らの祈りをお聞きください。どうかその願いがかなえられるために、主の喜ばれることを願い求めさせてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン

下記のpdfファイルをダウンロードしていただくと、詩編・特祷・聖書日課の全文をお読みいただけます。なお、このファイルは「日本聖公会京都教区 ほっこり宣教プロジェクト資料編」さんが提供しているものをモデルに自作しています。

はじめに

 どうも皆さん「いつくしみ!」本日もよろしくお願いいたします。
 さて、ルカ教会では、このように信徒宣教者になる前から、礼拝でのお話を担当させていただいておりますけれども、信徒宣教者になってから、一つ、変わったことがあります。それは、この礼拝のお話が「説教」ではなく「奨励」になったということです。今年の3月までは、日本キリスト教団の教師でしたので、こうやって礼拝でお話させていただく際には「説教」としていただいておりましたけれども、今は日本聖公会の“信徒”ですので、信徒が説教をするのはおかしいだろうということで、便宜上、「奨励」というようにしていただいております。
 「奨励」というのは、「奨め」「励ます」と書きます。辞書で調べてみましたところ、「ある事柄を良いこととしてそれをするように勧めること」と説明されていました(Wiktionary.orgより)。キリスト教の教え、良いよ!みんなにもオススメするよ!ってことなんですかね。「説教」の場合、「教え」を「説く」と書きますので、なんとなく権威的な印象を受けますけれども、「奨励」の場合だと、「オススメする」というような意味になるので、“柔らかい”イメージがあって良いなぁと思います。
 でも、良く良く考えてみますと、「教えを説く」ことよりも「オススメする」ことのほうが難しいんじゃない?って思ったんですよね。たとえば、「この映画、絶対見たほうが良いよ!」と人から勧められた経験、皆さんもこれまでの人生の中で何度かあったと思うんですけれども……、どれくらい観ましたか?大抵、観ないんですよね。「これ食べたことないの?人生半分損してるよ!」って言われたら……、皆さん、食べます?「そんなもん意地でも食べてやるか!」って思っちゃうんですよね。人間って不思議ですよね(笑)
 まぁ、そんなこと言いながらも、別に僕としては「説教」も「奨励」も、特段、区別することなく同じようにお話させていただいているわけなんですけれども、「奨励」、つまり、辞書に書かれていたように「ある事柄を“良い”こととして人に勧めて、そして、それを実行に移してもらう」というのは、実はかなり難しいことだし、本来は「説教者」こそ「『奨励』とは何か」を考える必要があるのかもしれませんね。

エルサレムに帰るほうが絶対良いよ!

 さて、そういうわけで今回は「『奨励』とは何か」という話から始めているわけですけれども、これは、本日の旧約聖書の内容と少し関係しています。今日の旧約聖書の箇所は、イザヤ書55章1節以下が選ばれていました。「イザヤ書」という書物は、大きく分けて3つに区分されるんですけれども、今回の箇所は、その内の2つ目の区分、通称「第二イザヤ」と呼ばれる区分に入っています。第二イザヤは、40章から55章。ですから、この箇所は「第二イザヤ」の締めくくりの部分にあたる箇所であるわけなんですね。
 第二イザヤは、かつてユダヤ人の祖先たちが経験した「バビロン捕囚」の真っ只中で書かれた文書だとされています。ユダヤ人の祖先たちは、自分たちの故郷からバビロニアという国に連行されて、そこで数十年生活することを余儀なくされました。

The Flight of the Prisoners (1896) by James Tissot

 しかし、バビロニアがペルシアに破れて、彼らは故郷に帰ることができるようになった。単純に考えたら、「良かったね!やっと帰れるね!」と思ってしまいそうですけれども、実際はそんなに簡単な話じゃなかったんですね。多くの人びとは、帰還許可が下りても、ユダの地に移住しようとしなかった。それは何故か? 一言で言えば「彼らにとってはバビロニアに留まる方が良かったから」です。故郷を離れて数十年。そうしますと、ユダよりもバビロニアでの生活の方が長くなった人たちも大勢いましたし、バビロニアで生まれた二世三世たちもいました。彼らはそもそもバビロニアでの生活しか経験していないんですよね。ですから、彼らの多くは、廃墟となったユダで新しい生活を始めるよりも、現状維持……すなわち、引き続きバビロニアで生活することを選ぶことにしたんですね。
 このイザヤ書55章には、そのようにバビロニアに留まろうとする人たちに対して説得を試みる、“第二イザヤ”の努力の跡が見られます。つまり、第二イザヤは、自分たちが本来いるべき土地に帰ろう!と“奨励”をしているわけです。55章の1〜2節をご覧ください。このように書かれています。「渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。銀を持たない者も来るがよい。穀物を求めて、食べよ。来て、銀を払うことなく穀物を求め/価を払うことなく、ぶどう酒と乳を得よ。なぜ、糧にならぬもののために銀を量って払い/飢えを満たさぬもののために労するのか。わたしに聞き従えば/良いものを食べることができる。あなたたちの魂はその豊かさを楽しむであろう。」
 バビロニアに留まるよりも、自分たちの土地であるエルサレムやその周辺の町々に移住するほうが魅力的だぞ、と第二イザヤは人々に呼びかけた。まさに“奨励”ですね。自分が「良い」と思っていることを、人々に強く勧めているわけです。

他の預言者たちも帰還を奨励した

 さて、本日の詩編の言葉も、それに関連していると言えます。今回選ばれている詩編65:9-13(10-14)は、天から賜った収穫を喜ぶ、美しい“牧歌的”な詩となっていましたけれども、今回、この詩編の解釈の歴史を調べてみましたところ、興味深いことが分かったんですね。我々がいま読んでいる詩編は、ヘブライ語のテクストから翻訳されたものです。ですが、イエスの時代や、その前のユダヤ教が発展してきた時代には、ギリシア語のテクストが読まれていました。そのギリシア語版の詩編65編(64編)を読んでみたんですが、冒頭の1節のところに次のような言葉が付け加えられていたんですね。「エレミヤとエゼキエルの歌/一時滞在の言葉より/彼らが出発しようとしている時(ᾠδή· Ιερεμιου καὶ Ιεζεκιηλ ἐκ τοῦ λόγου τῆς παροικίας, ὅτε ἔμελλον ἐκπορεύεσθαι.)」。これは、ヘブライ語のテクストには無い文章です。
 ここに名前が挙げられている「エレミヤ」と「エゼキエル」という二人の人物。これは、バビロン捕囚の時代に活躍した預言者たちのことです。もちろん、彼らがこの詩編を書いたというわけではありません。そうではなくて、後の時代の人々が、この詩編をエレミヤやエゼキエルという二人の預言者と関連付けさせたということです。エレミヤやエゼキエルたちは、第二イザヤと同様に、バビロン捕囚からの解放を希望として語り、人々にエルサレムへの帰還を“奨励”しました。この詩編は、先ほどもご一緒にお読みしましたように、自然の豊かさと収穫の恵みに関してうたわれた牧歌的な詩だったわけですけれども、ユダの地はそういう魅力的な土地なのだとアピールすることで、エレミヤとエゼキエルは、なんとか人々を移住へと導こうとした……そのように後の時代の人々は考えて、二人の名前をこの詩編に関連付けたのだろうと思われます。
 第二イザヤも、他の預言者たちも、故郷であるユダの地への移住を人々に“奨励”した。しかしながら、彼らの説得も空しく、多くの人々がバビロニアに留まることにしたんですね。その結果、エルサレム復興のためにバビロニアを去ることを決意したのはごく少数となったわけです。

マタイ版「『種を蒔く人』のたとえ」

 旧約聖書は、言っていれば、ユダヤ・エルサレムの歴史を記した書物ですから、エルサレムへの帰還を果たした人々を美化して、それを英断として描いています。ですが、本当に聖書が記しているように、エルサレムに移住した少数の人々のほうが正しくて、逆に、バビロニアに残った大勢のユダヤ人たちは間違った選択をしたのか、ということについては、聖書の視点ではなく、客観的・俯瞰的な視点から検証されるべきだと僕は思います。何故なら、聖書という書物は、普通の歴史書ではなく、宗教の聖典だからですね。
 宗教は、「善か悪か」という、そのような二者択一を人々に迫る傾向にあります。今回の福音書のテクストであるマタイ13章にも、そういう二元論的な考え方の傾向が見られます。通称「『種を蒔く人』のたとえ」と呼ばれている箇所ですけれども、このたとえ話の中では最初に、「道端に落ちた種」、「石だらけの所に落ちた種」、「茨の間に落ちた種」が紹介されて、それらはどれも実を結ばなかったけれども、最後に紹介される「『良い土地』に落ちた種」だけがたくさんの実を結んだ、と記されています。

Sower with basket (1881) by Vincent van Gogh

 この話は、ヨハネ以外の3つの福音書(マタイ・マルコ・ルカ)に収録されているんですが、それらを読み比べてみると分かるように、まさにこのたとえ話は、それぞれの福音書の特色をハッキリと表してくれている話なんですね。今回は、その内の2つ、本日のマタイ版と、そしてマタイが福音書を書くときに参考にしたマルコ版を比べてみたいと思います(お手元の資料をご覧ください)。
 まずマタイ版では、すべての「種」を“複数形”で記しています。つまり、「道端に落ちた種」も、「石だらけの所に落ちた種」も、「茨の間に落ちた種」も、「良い土地に蒔かれた種」も、全部、何粒かずつあったということです。イメージとしては、ガッと掴んだ種を、それぞれの場所にまんべんなくパッ、パッ、パッ、パッ、というように蒔いたって感じですかね。すると、「良い土地」に蒔かれた種だけがしっかり成長して実を結んだ。これはすなわち、御言葉の種を蒔かれる者は多いけれども、それを「聞いて悟る」者(23節)は限られているということを意味しています。

マルコ版「『種を蒔く人』のたとえ」

 一方で、そんなマタイさんが参考にしたマルコ福音書では、このたとえ話をどのように書いているか。こちら(マルコ)が本来のテクストだと考えていただければ大丈夫です。
 マルコの方のテクストでは、最後の「良い土地に落ちた種」は“複数形”で書かれている……、この点に関してはマタイ版と同じなんですが、先の3つの「種」(すなわち「道端に落ちた種」、「石だらけの所に落ちた種」、「茨の間に落ちた種」)は“単数形”で書かれているんですね。些細なことのように思われるかも知れませんが、実はこれこそ、マタイ版との決定的な違いなんです。
 良い土地に蒔かれた種は“複数形”で書かれていて、他の3つの場所に落ちた種が“単数形”で書かれている。これはすなわち、先の3つの種がいずれも、「種を蒔く人」の意図とは違う形で、偶然ポロッと、畑ではないところに落ちてしまった……、そういうことを表現しているように読めるわけですね。そもそも、農家の人が、わざわざ「道端」とか「石だらけの場所」とか「茨が多い場所」に種を蒔くはずがない。「種を蒔く人」は、畑に蒔こうと思って種を持って出た。けれども、その道中で、ポロッポロッと、何粒かカゴ(?)の中からこぼれ落ちたので、残念ながらそれらは実を結ばなかった。ただし、ほとんどの種は(予定通り)「良い土地」に、すなわち「畑」に蒔かれた。実は、それだけの話なんですね。
 マルコの場合、“単数形”と“複数形”を使い分けることで、やむを得ずポロポロと御言葉の種がこぼれ落ちることはあるけれども、ほとんどの場合は、ちゃんと畑に蒔かれて、それぞれに幾らかの実を結ぶのだと、そのように表現した。これは、本日の旧約の箇所であったイザヤ書55:10-11の言葉を思い起こさせます。「雨も雪も、ひとたび天から降れば/むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ/種蒔く人には種を与え/食べる人には糧を与える。そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も/むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ/わたしが与えた使命を必ず果たす。」……これはよく考えられた聖書日課ですね。
 「御言葉はむなしく天に戻らない」。重要なのは、種が蒔かれる畑が「100倍」の実りを結ぶ土地だけとは限らないということです。収穫が60倍になることもあれば、30倍に留まることもある。しかし、いずれにせよ、豊かな実りをもたらすのであるから、その収穫を喜ぶことこそが、何よりもまず大切なことなのではないか。そのようなことを我々読者に思い出させてくれる箇所だと思います。何が良くて、何が良くないか。何が優れていて、何が劣っているか。何が正しくて、何が間違っているか。そういう二極的な考え方にとらわれず、結果としてそれは自分にとって「幸せ」なことかどうか、あるいは、相手にとって「幸せ」なことかどうか……という、そのような判断基準もまた大切なのではないかと考えさせられます。

ユダヤ人たちのそれぞれの決断

 バビロン捕囚から解放されたユダヤ人たちの話に戻りますけれども、彼らユダヤ人たちの中には、エルサレムに移住して自分たちの国の復興に努めた者たちがいました。彼らの努力の甲斐あって、ユダヤ教という宗教が生まれ、我々キリスト教もまたその中から誕生することになったわけですけれども、だからと言って、彼らの判断こそが正しかったと結論づけるのはよろしくないと思うんですね。何故なら、彼らはエルサレムを復興したとは言え、自分たちの独立国を手に入れたわけではなかったからです。その後も、パレスチナのユダヤ人たちは、他の国の支配下にありながら、その国に税を納めつつ、従属国として、あるいは属州として過ごしていかなければならなかったんですね。第二イザヤが呼びかけたような「銀を払うことなく穀物を求め/価を払うことなく、ぶどう酒と乳を」得る生活なんていうのは、実現しなかったわけです。
 一方で、バビロニアでの生活を続けたユダヤ人が多かったというのは既にお話したとおりですけれども、彼らがどのような生活を送ったのかは、残念ながら詳細は明らかになっていません。しかし、バビロニアの他にも、ユダヤ人たちは様々な地域に散らばって生活していました。そのことから推察するに、彼らもまた、他国の支配を受けながらではありながらも、それぞれに“幸せ”を求めて生きていたのだろうと思われます。
 そう考えますと、エルサレム復興のために移住した人々が正しくて、他が間違っているということはない。あえて「正解」を示すならば、各々、置かれた場所で懸命に生きていた。それが「唯一の正解」であると、そのように言えるのではないでしょうか。

おわりに

 『置かれた場所で咲きなさい』という言葉。皆さんもきっと聞かれたことがある言葉だと思います。これは、カトリックのシスターだった故・渡辺 和子さんの本のタイトルとしても有名ですけれども、そのような『置かれた場所で咲きなさい』という精神はすでに、今日のたとえ話を通じて、イエス・キリストが教えてくれていたものでした。
 人間は、常に自分と誰かとを比較したくなる、そういう性質を持っています。どっちが得で、どっちが損か。そのような損得勘定を積み重ねることで、人類の歴史は築かれていったとも言えますので、「比較」すること自体が、何か悪いことだと言うつもりはないんですけれども、ただし、自分が「得だ」と思った方の選択をしたからと言って、必ず良い結果を生むわけではないし、「損するかもしれない」と思った方の選択肢を選んだから、絶対に悪い結果になるわけでもない……ということは覚えておく必要があるかもしれません。特に、イエス・キリストの生涯は、端から見れば、明らかに「損をしている」と思えるようなことの連続でした。けれども、彼自身は、得か損かではなく、自分が“良い”と思ったほうを選んで生きていたのではないかと思います。
 今回のたとえ話で言えば、収穫が30倍に留まった人は、60倍や100倍の結果を生んだ人たちと比べて「損をした」と思うかもしれません。逆に、100倍の実りを結んだ人は、自分よりも収穫の少ない人たちと比べて「得をした」と言って優越感を抱くかもしれない。確かに、数で言えば明らかに30倍よりも60倍のほうが良いし、60倍よりも100倍のほうが良いに決まっています。ですが、そのような比較がそもそも必要なことなのか?ということを、今日の聖書日課のテクストは教えてくれているように思います。何の得にもならないどころか、収穫への感謝を忘れてしまうことにも繋がりかねません。与えられたことへの感謝……。それこそ、神の御手のうちにある我々人間がすべきことだということを、本日の御言葉は“奨励”してくれている(良いものとして勧めてくれている)のではないでしょうか。
 他者との比較ではなく、“自分”が置かれた場所でいかに育つか。蒔かれた場所でいかにして生命を育み、そして、少しでも幸せになれるよう自分を大切にしてあげられるか。その結果として、僕ら人間はそれぞれに、「喜び」という“花”を咲かせ、「幸せ」という“実”を結ぶのだろうと思います。

 ……それでは、礼拝を続けてまいりましょう。

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