「セクシーゾーン ライブツアー2022 ザ・アリーナ」における夢と永遠
ドキュメンタリー番組「RIDE ON TIME」でSexy Zoneの特集が始まりました。2022年の個人、そしてグループ活動の裏側を見ながら、夏のツアー「セクシーゾーン ライブツアー2022 ザ・アリーナ」を思い出しています。
■「Dream」の捉え方
個人的には本編ラストの曲が「Dream」だったことについて「なんで……!?!!?」と泣いたのが忘れられません。
というのも、「Dream」が振られたあのときは、終盤で流れるケンティー監修の映像で他界隈の推しの卒業を思ってマスクをビシャビシャにした後だったから。
卒業後は就職する予定だと話していた彼女とアイドルをやめて別の仕事をしている4人の姿が重なり、「元気にしてるかなあ」と話すファンの子の姿が未来の自分と重なり、あの映像では泣きに泣きました。
映像直後の「Forever Gold」でも、彼女を追いかけた日々が蘇りました。最後のアルバムは遺作だと話していた彼女のこと、そして「僕にとってSexy Zoneは"今"」「"この先""この続き"を見たくなる」とananで話していた風磨くんのこと。それぞれを思い出して勝手に対比して、喜怒哀楽のどれにも分類できない感情で泣きました。
「RUN」では、「止まらないで」と歌われることに涙が出ました。ファンがアイドルに止まらないことを願うなんて罪深い話だと思っている私としては、アイドル側にそう歌われること、その姿があまりにもキラキラしていることに圧倒されました。
そしてそんな中で振られる最後の曲が「Dream」。
いやいや待ってくれよと。散々卒業する他界隈の推しのことを考えさせておいてそれはないだろうと(言いがかり)。他界隈の推しとの別れに泣き、身勝手にもSexy Zoneの永遠を願ったところに突きつけられる「夢みたいに綺麗に消えてOk?」はしんどいです。おかげで帰り道は「Dream終わりなんてそんな、そんな……」状態でした。
ただ、考え直して見ると「アイドルっていつか終わっちゃって儚いね」「ライブが終わっちゃうけど仕方ないよね」というわけではないのかなと思いました。それよりは「この夢のような時間は終わってしまうけれどそのかけらを抱いて夢の続きにある日常をちゃんと生きていこうね」ということなのではと。
ライブ然り、物事に終わりがあるのは仕方ないことです。カーテンコールで「後悔はないですか!?」と聞かれたら「ないー!」としか言いようがありません。とてつもなく切ないけれど仕方がない。
ライブが終わったら日常が始まること。ライブという夢のような時間が「非日常」として輝くのは「日常」があるからこそであること。そんな日常にも寄り添える存在でありたいこと。ザ・アリーナの挨拶で、風磨くんは割とそういう話をしていたと記憶しています。まさにそういう存在であろうとする宣言が「Dream」だったんだなと思いました。
■ライブ全体としての夢と永遠
その後、各種インタビューでライブの話が出てくる中で、「Dream」というよりはザ・アリーナ自体がそういうライブだったんだと分かりました。
セクシーガールズの夢は覚めるし「Dream」で夢のような時間が終わる。しかし消えたはずのアイドルが帰ってきて「Forever Gold」で永遠を歌う。だからこそ私はザ・アリーナの「Forever Gold」が好きだと思っていました。
でもこの曲だって輝いた瞬間自体はもう通り過ぎているんですよね。だから「振り返るハイライト」。いずれにせよ夢のような時間はもう終わっています。
しかし「Forever Gold」は、夢のような時間は永遠に胸の中にあり、その延長線上に自分がいることを歌っています。夢のような時間は終わっても、思い出だけは永遠にある。夢のような時間を糧に、また次の夢との間にある日常に戻る。「Dream」だけでなく、ザ・アリーナは全体としてそんなライブだったのだなあと今は思います。
ただ、意外にも次の夢の時間はすぐに訪れることになりました。「セクシーゾーン ドームツアー2022 ザ・ハイライト」。
個人的には「I see the light~僕たちのステージ」で「ずっと届けよう」と永遠を歌われたらザ・アリーナからの流れに震えてしまうのですがどうでしょうか。
……なんて、ドームのことを考えることでワクワクして乗り越えられる日常の諸々がたくさんあります。次の夢の時間が見えているからこそ、そこに向かって頑張れます。
では、もう次の夢が訪れなくなったときは? それはそのときに考えます。
またドームに立てるように。公演数を増やせるように。そんな風にさらに先の話をしてくれるメンバーの言葉を今は信じて、ドームのステージを目に焼き付けます。夢の時間を自分の中で永遠にできるように。