アイドル的キラキラと人間的キラキラについて
中島健人さんが表紙とのことで、SPUR 2023年5月号を読みました。
お写真はもちろんのこと、インタビューこの部分がすごく印象的でした。
「もしかして自分はアイドル的キラキラをあまり見ずに来たのでは?」と思いました。
もちろんステージに立ち、歌って踊ってファンサするケンティーはアイドル的キラキラをまとっています。プリンセスと言われるのも頷けるほどかわいく、王子様と言われるのも頷けるほどかっこいい。そんな人です。
しかし私の思うケンティーのキラキラはまっすぐな情熱やホスピタリティから生まれる全てであり、いわゆる「アイドルっぽい」と言われそうな振る舞い以外も含みます。
たとえば仕事や趣味について熱く語る姿。自身の番組や中継で真剣に取材する姿。グループやキャリアについて冷静に見据える姿。どれもがキラキラして見えます。人として尊敬するしあんな風になりたいと憧れる存在です。
アイドルとしてステージに立っているときも、役者やインタビュアーとして仕事に取り組んでいるときも、その真剣さゆえにすごくまぶしいです。アイドルとしてファンの前に立つときは人間的キラキラがアイドル的キラキラとして表出するし、別の仕事をするときはその仕事をする人の姿としてキラキラが表出する。そんな印象を持っているので、アイドル的キラキラを内包するのが人間的キラキラだと思っています。
ただ、中島さんにとってアイドル的キラキラのイメージの強さがある種のしがらみになるのであれば、簡単にそうも言えないよなあと思います。
というのも、CUT 2022年11月号のインタビューで「ケンティー」のイメージについて次のように語っていたからです。
「え、ケンティーってそんなに人間的じゃない概念なのか……!?」というのが正直な第一印象でした。なぜなら私が「ケンティー」に感じるまっすぐな情熱やホスピタリティはとても人間的だと思うから。いや、逆にここまで熱い人はいないという意味で人間的ではないのか? いずれにせよ個人的なケンティーの印象と中島さん自身が感じているケンティーのパブイメに開きがあるようです。
これはおそらく、私が2020年以降(=おそらく割とケンティーを"着脱可能"になった姿)しかリアルタイムで見ていないからだと思います。ケンティーのペルソナを脱げないときの中島さんの苦しみも、当時のファンの方が抱えていたかもしれない「キラキラアイドル以外もできるのに!」というモヤモヤも、きっと私には想像しきれない。SPURの「昔、蓄えたキラキラが今も色素沈着みたいに残っている感じかな(笑)」を見ても、アイドル的キラキラを求められることがご本人的に手放しで喜べることなのか分からないなあと思います。想像しきれないしがらみがあるならば、後追いファンの自分には何も言えません。
ただ、あれだけファン思いで「みんなの“自慢の推し”であり続けたい」と言うケンティーからアイドル的キラキラがなくなるのは正直全然想像できません。アイドル以外としてキラキラする姿を多々見かけたとしても、人間的キラキラを目指していく時期になっても、ステージに立てばアイドル的キラキラが放たれるのではないかと思います。
実際、朝倉晴人や新谷健雄といったキラキラ王子さま感のない昨今の役を演じた後でも、ステージに立つケンティーはファン思いで熱くてかっこいいキラキラアイドルでした。
ほらぁ~~! 見て~~~!?!!?!?!?
……とりとめのない話になってしまいましたが、中島さんはその人間的キラキラゆえに、アイドルとしても、役者としても、それ以外の姿でも、キラキラしているに違いないということが言いたかったのでした。
もしアイドル的キラキラのケンティーしか知らないという方がいたら、それ以外のキラキラも見てほしいなあと思います。もしかすると分かりやすくキラキラしては見えないかもしれないけれど、その裏にある熱い想いやまっすぐさはキラキラ輝く感動をくれるはずです。
ということで独断で選ぶいろんなケンティーの姿を残して終わりにします。
▼ 映画「桜のような僕の恋人」より朝倉晴人役
▼ 映画「ラーゲリより愛を込めて」より新谷健雄役
▼ 個人Instagramより自作のリール(かっこいい)
▼ グループの中での健やかな姿(かわいい)(かっこいい)(おもろい)