どうやら、前世に(ウソ)私はそんなことを言っていたようです。
また中国のスーパースター、孔子はこう言っています。
そう、今日のテーマは「大人」です。(テーマなんかあったん?)
あの孔子にして、自分の知識や経験が、取り巻く世界と一致して迷うことが無くなったのが40歳。今よりももっと切実な生を生きていた時代にあって、天命を知るのが50歳。
時は流れ、歳を重ねることに「アンチ」をつけ、実年齢よりも若く見えることが称賛となる社会で、大人をどう定義するのがしっくりくるんだろうかと、たまに惑ってしまうわけです。
冒頭の「大人がご機嫌でいれば・・・」は、当時の確かな心境であり、一方で反面教師的な思いでもありました。
そのくらい、不機嫌な大人に囲まれていたし、どこまでいっても利己的な動機を掲げ続ける人のコンテンツで溢れていた。
また、そんな業界でもあったし、時代でもあった。
だからこそ、大人の立場に自覚的になった時、せめて「ご機嫌」であってくれと願いながら、自戒もしていたのだと思うんです。(うろ覚え)
当時、私の「ご機嫌」の裏側を支えていたのは、千利休のこの言葉でした。
まさに「ご機嫌」であるための「真」を知るための、修行のような日々でした。
もちろん、今以て私は「真」を知るに至ってはいないけれど、それでも旅をするように様々な環境に飛び込む事ではじめてその気配を捉えることはできたような気がするのです。
大人にとっての「ご機嫌」とは、実は「強さ」一つの到達点なのではないかと、昔の私から気づきを得るという、不思議なオチとなりました。
※「一発書きチャレンジ」は、
私個人の文章を書くリハビリで、何の準備も、構想も、下書きも無く
文字通り「一発書き」で書きなぐったテキストです。