空気循環、はじめました。
飽き性。それは少し前までの、私が私につけたあだ名。今は少し毛色が違っていて、飽き性は空気循環を欲しているサインだと思っています。
空気循環、それはお部屋もそうですが、ここでは頭の中のこと。ここでひとつ前の記事を引用しますね。成長がテーマでした。
成長と書きましたが、そこにはどうしても向上の意味を多分に含む感覚があり、一方で私の意図するところはアップデートにより近いかもしれません。
新しい何かを取り入れたり、知らなかったことを既知とする瞬間、私の中には喜びが走ります。それらのことを活かして行動するかは、また別物として。
知ることにより、これから多角的に見ていけるかもしれないという感覚や、楽しみを見つけ出すセンサーの感度が上がったのではという期待、そして人の痛みをより包み込みやすくなったのではという願い。
知ることでネガティブ、ポジティブ両方の効果があると理解しつつ「後者が多ければいいな」なんて前向きだったりして。
そんなふうな心持ちでいるとき、頭の中でそよ風が吹くのだと思います。リフレッシュ、リラックス、りりりりり。
ちょっとズレましたが、そよ風が呼んでくるのは知識だけじゃなく余裕も運んでくると考えています。知ることで選択肢を知り選べる期待を持てる、余裕ができる。自分がひねり出せる答えは現状持っている知識、経験、想像力、期待力の総和に等しいみたい(体感)なので、そこを広げるにはやはり各々底上げしていきたい欲があるのです。
そこにご縁の力が加わると、もっと風力が増すと思うのです。人とのご縁で予期せぬ風が吹く。背中を押してもらえたり、出口へ導かれたり、新しいフィールドへ誘ってもらえたり。そこでまた、感じたことのない風を味わう。その実現を補ってくれるのが、SNSという存在なんじゃないかな。
空気が澱まないように、選択肢が減らないように、余裕が潤沢にあるように、私は変わり続けます。飽き性が疼いたら、新しさを取り入れて流れを作る。途中で風が止んでも気にしない。流れを作ろうとした気持ちがえらい。
そんなふうに感じました。
その感覚を忘れないように、定期的に記事を綴りたいと思います。(定期的、それは自分へのプレッシャーにもなりますが、まあ……できるよう自分で自分の背中を押してあげたい気持ちが強めです!)
空気循環、言い換えればインプットとその感触を共有していきますので、ぜひお付き合いいただけると嬉しいです。