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アイドル無知の人間がアイドルに日常を変えられた話
『アイドル』に興味はなかった。
アイドルのことをどれくらい知っているか?──そう聞かれたら私は、全くわかりませんと答える。
人気絶頂当時のAKB48の話題になったとき、メンバーの顔を見比べても、全員同じ顔にしか見えなかった。メンバーが何人いるかもわからなかったし、派生グループがいくつあるかもわからなかった。
そんな私が旧年の12月26日からとある理由で筋トレに目覚め、新年元旦から休日は毎朝3kmランニングをしている。それは、とあるアイドルに魅了されたからだ。
【起】12月21日 岩本理瑚というアイドル
そのアイドルとは、「僕が見たかった青空」というグループのメンバー、「岩本理瑚」17歳。
初めて知ったのは、YouTubeでSASUKEアイドル予選会の動画を見たときのこと。その日12月21日は自分が趣味でやっているポケモンカードの大型大会がYouTubeでライブ配信されていたのだが、地元大阪で開催される大会に参加できなかったショックでモチベーションが大きく下がっており、すぐに視聴をやめてしまった。休日の時間を持て余し、何をしようかと思っていた時、アイドル予選会の動画がYouTubeのおすすめにたまたま出てきた。それをなんとなく、面白くなかったらすぐやめようと思いながら再生した。ただそれだけのきっかけだった。
そして動画を見終わった後──私は岩本理瑚の大ファンになっていた。
「中学時代はソフトテニス部、団体戦で東京大会を春夏4連覇、関東大会2年連続5位。個人戦でも東京大会5位」「特技はアクロバットとロンダートバク転」といった客観的な要素に加え、「前のめりで手を抜かない」「倒れ込むまで自分と戦い記録を伸ばす」「安全に臨めば総合1位を取れるが、種目の1位を狙うためにリスクを取る」というアグレッシブなメンタル。SASUKE熱が随所に溢れ出る彼女に、いつしか目を奪われていた。
──しかし、その前のめりなまでの情熱が凶と出てしまい、最終種目で記録なしの12位、総合6位に終わった。だがこの無鉄砲なまでのひたむきさを目の当たりにして、私は完全に彼女の虜になった。何年後になってもいい、彼女がSASUKEに挑戦する姿が見たい──そう思った。そしてその願いはすぐさま叶えられ、敢闘賞でSASUKE本戦出場が決定。私は自分のことのように喜び、放送を待ち望んでいた。
【承】12月25日 SASUKEの放送日
世間はクリスマスだったが、周囲の盛り上がりに全く関心はなかった。竹内まりやの歌声が聞こえるCMに気持ちを躍らせることもなく、私の頭の中にあるのはSASUKEだけ。岩本理瑚がSASUKEに挑む姿を目に焼き付けたい──その気持ちだけだった。
岩本さんのゼッケンは7番。アイドル予選会優勝のSKE48伊藤実希さんもゼッケン6番で出場する。この二人の戦いは何としてでも目にしたかった。普段テレビに関心がない自分だが、この日は必ず定時で仕事を終わらせると意気込み、間に合わなかった時のためにTVerでライブ視聴できる体制を整えた。
いよいよ、SASUKEの放送が始まる。先に伊藤さんの出番がやってきた。アイドル予選会での彼女の姿も印象に残っており、最初のエリアでは絶対に脱落してほしくない──それだけを願って彼女の奮闘を見守る。私の心配をよそに、彼女は見事2つのエリアをクリア。しかし3つ目の新エリア、スクリュードライバーであえなく脱落。またクリアした者がいない、攻略法不明のエリアに弾き返されることとなった。
──間もなく、その時がやってきた。所属グループ「僕が見たかった青空」の『好きすぎてUp and down』に乗せて、岩本理瑚の名前がコールされた。伊藤さんの時以上に心配する私をよそに、彼女は新エリアのスクリュードライバーに到達。そして──攻略した。
叫んだ。本気で応援し、成功を祈っている者からのみ出る「行った!!」の声。SASUKE常連組の日置さんが激しく手を打ち鳴らし、漆原さんが両手でガッツポーズを作って讃えた。もし自分が現地で見ていたなら、同じくらい激しく拍手し、叫んでいただろう。結果的に彼女は次のフィッシュボーンでリタイアしてしまったが、アイドルらしからぬ闘志に満ちた眼差しでSASUKEに対峙する彼女を見て、私の心に変化が起きた。
彼女のように前のめりで何かに挑みたい。強くなり、身体も心も逞しくなりたい──。
翌日の仕事終わりから、なかやまきんに君のYouTubeを参考に筋トレを始めた。その後、岩本さんの記事を読み、彼女がSASUKE予選会に向けてどれほど熱意を持って挑んだかを知った。
予選会に向けて可能な限り毎朝3km走っていたと知り、私も翌日から早朝ランニングを日課にした。ハンドグリップを購入してテレビを観ながら握り、身体を動かすためにボルダリングジムに出かけた。仕事が終わったら疲れ切って、楽しみもなくスマホでSNSを見ていただけの人間が、大嫌いだったランニングに進んで挑戦し、鏡の前に立てば上腕二頭筋を見るようになっていた。
【転】1月13日 KUNOICHI本戦
年が明け、私の一番の楽しみはKUNOICHIだった。SASUKEを見て岩本さんのポテンシャルの高さに魅了された私は、「岩本理瑚はKUNOICHIの1stステージをクリアできる」と信じて疑わなかった。
それに今回は、同じアイドル予選会組の「ukka」結城りなさん、「私立恵比寿中学」風見和香さんとともに参戦。アイドル予選会を繰り返し見ていた身として、三人には相当な期待を寄せていた。それほどの運動神経も潜在能力もあると信じていたし、肩書だけを見て「たかがアイドル」と見くびっている人々の目を抉り取るほどの活躍をしてくれると信じていた。
ゼッケン16番、予選会組の先陣を切る結城さんの出番が来て、心拍数が上がる。スマイル100点の切り込み隊長は、持ち前の高い運動神経を発揮して突き進んでいく。ここまで1stステージのクリア者はゼロだが、もしかしたら風穴を開けてくれるのでは──期待は高まったが、ドラゴングライダーを攻略できず脱落となった。
続いてゼッケン17番、風見さんがスタートラインに立つ。手足がモデルのように長く、美麗な出で立ちながらやはり運動神経の良さを兼ね備え、すいすいとエリアを攻略。勢いに乗って、難関のドラゴングライダーをも乗り越えてみせた。いつかのように「行った!!」と叫んだ私は、そり立つ壁に立ち向かう風見さんにエールを送る。しかし高すぎる壁に阻まれて、1stステージクリアは叶わなかった。それでも彼女は初めてドラゴングライダーを突破した者となり、凄まじいインパクトを残した。
──そしてその数秒後、心拍数がピークに達する。心臓の鼓動で身体が震えるほどに緊張し、初の1stステージクリア者が現れるその瞬間を待ち侘びる。
SASUKEと同じように『好きすぎてUp and down』を出囃子に、岩本理瑚の名前がコールされた。誰も攻略できなかったドラゴングライダーを風見さんが攻略し、機運が高まる。岩本理瑚ならやってくれる──そう思った通り、彼女は申し分ないスピードで次々とエリアを攻略。SASUKEで苦杯を嘗めたフィッシュボーンもクリアし、難関のドラゴングライダーに対峙した。
アイドル予選会の修行動画で、松田パークでドラゴングライダーのトランポリンを凄まじい速さで習得した姿を見ていた。松田さんや樽美酒研二さんが末恐ろしいと感じるほどのポテンシャルを持ち、見ているこちらに期待を抱かせる姿に、1stステージクリアの夢を見ずにいられなかった。
行ってくれ──そう思いながら、バーに飛びつき滑り出した彼女を見ていた。そしてドラゴングライダーのバーが終着点で金属音を立てた直後。彼女はプールに沈んでいた。
今回のKUNOICHIは全編通してとても熱く、見所がたくさんあった。池谷直樹さんとサムライ・ロック・オーケストラの渡邊麻衣さんの師弟の絆。SASUKE・KUNOICHIに帰ってきた水野裕子さんが見せた執念。弱冠16歳ながら最初に1stステージを突破した酒井珠希さんや、完璧なまでに各エリアを攻略して完全制覇を果たした大嶋あやのさんなど、タレント揃いの名勝負ばかりでとても面白かった。ただ、岩本理瑚が1stステージをクリアできなかった──それが唯一の心残りだった。
【結】1月14日 ブログにて
KUNOICHIの放送翌日、岩本さんのブログを真っ先に見に行った。彼女がSASUKE・KUNOICHIに挑戦してどんな感情を持ったのか知りたかった。そして目にした最新のブログでは、KUNOICHIに対して語っていた。
──彼女の文章は「悔しい」一色だった。
冷静に考えれば、出場者50人のうち1stステージをクリアしたのは6人。クリアはならずともドラゴングライダーを突破したのが3人なのだから、成績自体は上から同率10人目となり、決して悪いものではない。なのに、全く満足していなかった。さらには佐藤惇さんに今後のトレーニングについて相談し、本気で時間を作ってパルクールやクライミングに挑戦したいと語っている。大きすぎたはずの「悔しい」をすぐさま消化し、もう再戦に向けて動き出していたのである。
ブログの中で、彼女は「所詮こんなもんか」と思われたくない──そう語っていた。
それは私も同じだった。岩本理瑚はこんなものではない。身体的にも精神的にも、彼女はただの女子高生アイドルではない。彼女はいつかSASUKE・KUNOICHIの1stステージをクリアする。その日が来ると信じて疑わない。
そして自分も彼女のように身体も心も強くなりたい。自信を持って彼女を応援できるようになりたい。その思いはますます強くなった。
──いつの間にか、彼女から目が離せなくなっていた。
こんなにも心拍数が高まり、気持ちを熱くさせ、応援したくなる存在にここ数年出会わなかった。目標もなく起伏もなかった日常が、1ヶ月前まで名前も知らなかったアイドルによって大きく変化した。
毎朝3kmのランニングを始めた。
毎日筋トレをするようになった。
初めてアイドルのファンクラブに入った。
ハーフマラソン完走を目標に掲げた。
今年の元旦、私は2025年を『挑戦の年』にすると誓った。新しい人生を始めようと思っていた気持ちに、1ヶ月前に知ったばかりの岩本さんの熱意が伝染し、新年始まってわずか半月で私の人生は変化し始めた。
現在の私の目標はハーフマラソン完走。現時点で最長3kmしか走れていない自分にとって大きすぎる、さながらそり立つ壁と言える大きな目標。それでも、目標に果敢に立ち向かう岩本さんのように、私も自分と戦いたい。そしてそれをクリアできたとき、自信を持って言いたい。
『私が応援する岩本理瑚はこんなものではない』