恋に愛とかバカみたいな事
恋愛って、恋に愛なんて書くけど馬鹿じゃねーの?
恋とか愛とかよく分からない、恋人に 好き と言う、愛してる と言う、そこで違和感に気づく。
好きなのは本当だけど、愛してるって本当だろうか?
Googleに愛とは何か問うとこう出てくる
慈しみ、大事なもの、として本当に相手を想えているだろうか?
自分と一緒にいたら相手は不幸になる。ということを自分は知っている。それは、18年間人のことを傷つけて生きてきたから自覚している。
だからこそ、別れる事が愛なのではないか?と 愛してる だなんて嘘か本当か分からない言葉を囁くよりも、別れることが愛なのではないかと思ってしまう。
こうなるともう、好き、という言葉すら疑わしくなってしまう。
ただ自分が寂しいから、その寂しさを埋めるために 好き だなんて言って繋ぎ止めているだけで、好き すらもエゴなのではないかと思ってしまう。
それに、一人の人のことを生涯好きでいる自信が持てない。人間関係も移ろいが激しい、すぐ好きになるし、すぐに飽きてしまう、だから ''好きな人'' を ''好きじゃなくなる'' 時が来ることがとても怖い。
自分が好きじゃなくなられる方がまだマシだと思う。
だから自分から嫌われたり、別れようとしたりしてしまう。その結果相手を傷つける、分かってる、分かってるのに自分が傷つかないために相手を傷つけている、分かってる。
そんなんだから、余計に罪悪感を感じ別れたい、不幸にならないといけない、死にたいという気持ちが強くなる。
しかし、恋人というのは優しいもので、そんなことを伝えても、それでも尚、好きだと、幸せにしたい、あなたが幸せを諦めていることが悲しいと言ってくれる。
そんな優しさに対し、自分は傷つき、自尊心を低下させる。
間違った感情のように見えるが正しいのだ。実際自分はそんな優しくされていい人間ではない、優しい言葉をかけられ本当は感謝すべきところを、捻くれた受け取り方をしまた相手を傷つけるのだ。どうしようもない。
結局またやっぱり別れなきゃいけないという強迫観念に駆られる。でも、実のところ別れたくなんてないのだ、出来れば恋人が10人欲しいくらいだ。
別れたい という言葉は相手のために別れるべきという気持ちと、自分のために別れたい気持ちと、別れる と言っても止めて欲しい試し行動でもあるのだ。
だから詰まるところ 別れなきゃ という言葉も愛なんかではなく、ただの、エゴなのだ。
恋愛そのものがエゴなのか、自分が本当に酷いエゴイストなのか。
なんか 卵が先か鶏が先か みたいな話ですね。
みんなって、本当に人のこと愛せてるんですか?
こんな風に自分のことばっかり考えてるのって、性格悪いのかな。自分のこと良く見せようと、普通を演じようとみんな嘘ついてるだけじゃないの?
そんなことないですね、自分の性格が悪いです、そうじゃないとみんなを悪者にしてしまう。
自分は愛されない、幸せになってはいけない、友達なんて出来ない、と思って全てを諦めていないと辛くて生きていけないし。
だから 愛 を知るなんて無理かーと思うけど。よく考えたら、愛されなくても愛すことは出来るね。
なんてこと、早く言えるようになりたいな。
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