書くこと。
書くことは生きることで、生きることは書くことだと、そのままの意味で思うのは、いつも頭の中で何か書いていて、考えごとも頭の中で書きながら進んでいくから。それが果たして良いことなのか、一度は書くのをやめてみた方がいいのではないかとたまに思うけど、どうやったら書かないで考えられるのかよくわからない。
そうやって頭の中で無限に書いて、好きな文章が書けたと思ったら実際にこうやって書いていく。それまでに書いたものから関連する話も引っ張り出してくる。
書くことは大好きだけど、手で書くのは苦手で、手が思考に追い付けないし自分の汚い字を見るとテンションが下がるし、こうやって機械でどんどん綺麗な字で書ける時代に生まれてよかったなと思う。
書くこと、読むことは不思議だ。平面に書かれた文字の塊でしかないはずなのに、立体感があり色があり温度があり景色が見える。頭の中で書いているときと違って、実際に書いているときは明らかに身体を使っている。奥から何か引っ張りだすような、身体を何かに合わせて書くような、そんな感覚があるけれど、実際には指先を動かしているだけ。それでも出来上がった文章には私がまるごと存在している。
その文字の塊が、その人の身体に馴染んでいるか、どうして読むだけでわかってしまうのか、その仕組みがよくわからない。でもやっぱり読んでいるとわかる。身体から出ていない文体で書かれた文章は、読んでいると文字がどんどんと滑っていく。そこにその人の意識はあるけどその人はいない。つまらないなぁと思う。
mixiが好きだった。みんな書いていた。この人はこんな文章を書くのかと知るのが好きだった。例えばそれはライターとしてやっていけるような、世間で認められるような綺麗な文章ではないかもしれないけれど、面白い文章がたくさんあった。本人は才能があるとはちっとも思っていないのに、私には才能の塊としか思えないような、そんな友達の一面を知るのが好きだった。そもそもあの頃みんな上手く書こうとしていたのだろうか?気づけばみんな書くのをやめて、今でも書いているのは、私と同じように書くことをはっきりと好きだと思っている人だけになってしまった。
こうして書いていて、私が文章を終わらせるのが苦手なのは、頭の中では終わりがないからかもしれないと気が付いた。もっともっと指先を動かして、この平面上に立体を増やしていった方がいいのかもしれない。