人と話が合わない理由を整理した
普段、人との会話において、「話が合わない」とざっくりネガティブな評価を下すことも多いのではないでしょうか?
今日は、その辺を細分化して考えてみたいのです。
話が合わない分類
私が思うに、「話が合わない」は大きく4つのカテゴリに分類されると思います。
話が合わない理由を、スキルの問題なのか、表層や深層の問題なのかで分けています。一つずつみていきましょう。
①興味関心がズレている
①については、ほとんど説明は必要ないでしょう。
スポーツに関心があるのに、図書の話ばかりされる。社会情勢の話がしたいのに、家庭の話ばかりされる、など。
②価値観がズレている
②についても、ほとんど説明は必要ないでしょう。
動物愛護の立場のあなたが、そうでない相手と動物について話す。敬虔なクリスチャンなのに、ヒンドゥー教に勧誘される、など。
例題はいくらでもありそうです。
ただ、これら①②については、自分の視野や世界観を広げるためには大いにプラスに働きます。一見、話していて嫌な感じがするかもしれないけれど、人生のこやしになるのです。
③言語力に差がありすぎる
言語力は、英語学習を例にすると分かりやすいですね。英語を学びたい人が、しょぼい英語でネイティブの人と話すパターンを想像してください。
ネイティブ側が相当譲歩してはじめてコミュニケーションが成り立ちます。「勉強」という目的においてのみ、成立するといえるかもしれません。
心の底から対等に議論しようと思えば、言いたいことが言えなさすぎてお互いにストレスになるでしょう。
実は、日本人同士でもかなり怪しいです。同じ日本語でも、知識量や経験量の差が、そのまま言語力の差になっているなんてことも多々あります。
言葉が通じなくて、話にならない。知らなさ過ぎて、話にならないということですね。
④抽象度がズレている
抽象度は、抽象化、具体化によって調整されます。
カメラで撮影するときに、対象物にピントを合わせるようなイメージが分かりやすいでしょうか。
ピントがズレているとボケてしまって、写真として見れたものではありません。会話においても同じで、抽象度がズレていると対象物は一応捉えているもののボケまくっているような状態と言えます。
カメラで動く被写体を捉えるように、会話は常にピントの調整を迫られます。
たとえば、シャム猫の話するときに、シャム猫の話だけで完結することは稀です。スーパーの買い物トークを延々とできるタイプの人以外には難しい芸当です。
シャム猫 < 猫 < 哺乳類 < 動物
という具合に抽象度を上げていくと、その中に入るもののサイズが必然的に大きくなります。
猫まで抽象度を上げると、ペルシャもベンガルもよし、猫のかわいさ、猫の習性、猫の問題など猫全般の話ができます。
哺乳類というとこまでいけば、犬の話だってできる。動物まで抽象度を上げる、ヒトも含まれるわけです。
盛り上がっている会話は、参加者全員の理解が追いつくような形で抽象度の上げ下げが行われています。逆に、参加者全員の理解が追いつかない形で抽象度がズレた場合は「話が合わない」の極みなのです。
シャムの猫の話をしているはずなのに、やたら動物全体の話を差し込んでくるとき、抽象度のコントロール機能がバカになっている可能性が高いでしょう。
④抽象度がズレているは、4つの中で最も分かりづらいですが、会話で最も大切な押さえるポイントの一つだと思います。
まとめ
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