「個人的な見解であり、所属する会社、組織とは全く関係ありません」から見る権限の大切さ
実名登録して、所属する組織やコミュニティを明かした上でSNSで意見するような場合、時々見かけるこのセリフ。
「個人的な見解であり、所属する会社、組織とは全く関係ありません」
一応こう書いていれば大丈夫という保守的な思考が垣間見えますね。「私」が発言しているだけなのに「会社」が発言していると思われたら困る、ということなのでしょう。
確かに、日本語の意味を読み違えて、まったくわけのわからない解釈をされることもあるでしょう。しかし、それが義務教育を経たはずの人間たちの姿なら、そういう場なのです。義務教育から変えるか、それが大変なら相手が理解できそうな言葉に言い換えて伝える工夫も大切ですよね。場の認識力に自ら寄せていくか、自分の表現を貫くか、その場を避けるか、自分で考える必要があるのです。
「個人的な見解であり、所属する会社、組織とは全く関係ありません」
これも1つの工夫なのだろうけれど、「言いたいことは言わせてもらう。ただ、これは私の意見であって会社の意見ではない(から会社にはいろいろ言わないでね)」というのは誠にカッコ悪く私には見えてしまうのです。
本当の問題は国語だけではない。実は、もっと根深いと思うのです。
いくら国語力を駆使したところで、私とそれを区別できるとも、できないとも言えてしまうのが現実です。
どういうことか。とても分かりやすいのがトランプ大統領です。
トランプ大統領のTwitterは、いつも物議を醸しますね。トランプ大統領の個人的な意見のように見えます。解釈は自由。アメリカの意見だととらえる人もいるかもしれないし、後ろに黒幕がいて…みたいな想像力を働かせる人もいるかもしれません。
仮に、あなたが「トランプ個人の意見だ!」と思ったとしましょう。でも、トランプ大統領の置かれている環境を考えると、彼の意見がアメリカという国そのものに反映される可能性は極めて高いです。
国語的には、誰の発言なのかとか、どの立場からどこを指して言っているのかとか、どういう文脈からそこに至っているかを読み解くことに意味があるでしょう。相手を深く理解するということにつながります。しかし、それはどこまで行っても理解の話です。
現実に起こっているのは「個人の意見だとしても、アメリカという国も動いている」ということです。国語問題とは切り離して考えるべき、別の現象が起こっています。「権限」によるものです。
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