愛とビジネスと投票券
お金を交換券ではなく、投票券として考えてみたい。別に新しい考え方でもないが、意識的にそう考えてみることでお金の使い方にもっと自覚的になれる。
お金という名の投票券
商品を売りに来た営業マンと会話していると、「商品の紹介は分かった(資料で十分)。ところで、君のこと、会社のことをもっと教えてくれないか」という気持ちになる。
商品を買うときには商品だけを検討するわけじゃない。どんな商品をどんな会社の誰が売っているか。私の場合、総合的に条件がそろわないと相手を信用しない。
日常的なシーンでも「◯◯さんが言うのなら」と誰の提案であるかによって意思決定される場面をよく見かける。
商品との交換券としてお金を考えるなら、商品や会社の実態を無視して個人にフォーカスするのは意味が分からないが、お金を投票券として考えれてみればよく理解できる。
私の友人は、とあるアパレルショップで働く店員をえらく信頼しており、もしその店員が別のブランドに移ったとしたらそちらに移動して買い物すると明言している。ブランドに投票するのではなく、その人に投票するという価値観である。
店員だろうが、ブランドだろうが、品質だろうが、何を投票の基準にするかは個人で違って構わないが、投票感覚でお金を使っている一例といえるだろう。
投票は意思表示
選挙では「この人に任せたい」という人に、なけなしの1票を投じる。目ぼしい候補者がいなければ、消去法で「この人には任せたくない」からと他の誰かに投じる。
消費活動も投票と同じように考えることができる。
私は感じの悪い店員がいるコンビニには2度と行かないようにしている。たとえ、商品や会社に好感が持てても、店舗として好感が持てなければそこには票を入れない。幅を利かせてもらっては困る。
わけのわからない党には解散(倒産)してもらいたいし、わけのわからない候補者には落選(退職)してほしい。感情の話ではなく、そのほうが1ミリだけ社会がよい場所になると信じているからだ。
そのためには票を入れないこと。支持しないことを意思表示しなければならない。
選ぶ側の認識の解像度
選挙の時期になると「まともな政治家がいない」「投票する先がない」というような話をよく耳にする。本当は逆で、まともな人に票が集まる見込みがないから、まともな人が立候補したがらないのだとも思う。卵が先か鶏が先か、いずれにせよ選ぶ側の課題も政治家と同様にあると言える。
同じことがビジネスにも言える。投票券として意識してお金を使うようになれば、もっと人間らしいビジネスで溢れ、社会はもっと素敵な場所になるだろう。
まだビジネスを始めたばかりのリソースの乏しい人たちにもチャンスが生まれるかもしれない。応援の気持ちでお金がまわり始めると、チャレンジ精神溢れる社会になるかもしれない。
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