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内面化したピラミッド

私には、社会の構造や人々の価値観がピラミッド状に見えている。それは唯一無二の固定的な建造物としてではない。一人ひとりが内面化させている価値基準のピラミッド、認識のピラミッドである。

一般的に、世代、年収、業界、業態、業種、地域、家族構成、ライフスタイル、趣味、カルチャーなどの影響を受けてつくられる。

高き者、低き者、危険因子

インターネット社会以前と以降でピラミッド事情は大きく変わった。インターネット普及以降は変数が多くなり、ピラミッドの有り様にも多様性が生まれている。

たとえば、お金を稼ぐことがカッコいいと思っている人、自然志向がイケてると思っている人、精神世界こそが真理だと思っている人、システムをハックして自由を確立することが勝利だと思っている人、難しいことは考えず流れに身を任せるのが平和だと思っている人など、それぞれが持っている核となる価値観と、先に述べたいくつもの変数が相まって、ピラミッドを構築し(もしくは拝借し)内面化させている。

人々は、内面化したピラミッドに対し、自分を適応させていく。ピラミッドの中の高き者、低き者がよく見える。言語化できなくとも、そこには明確に序列がある。

特に、ピラミッドの外にいる者が浮浪者や危険因子にしか見えない

ピラミッドの中で

自身が内面化しているピラミッドを俯瞰して見る力を持つ者はいない。

よくできたシステムほど人を思考停止させる。ピラミッドを内面化すればするほど、そして生活のほとんどをその中で過ごすほど、ピラミッドの外に世界があることを忘れてしまう。ピラミッドの中で仕事が、生活が、人生が成り立っているのだか、外側に世界があろうとなかろうと彼らにとってはどうでもよいことなのだ。

内面化したピラミッドの中に浸り過ぎると、以下のような視点に陥る。

「どうでもよいことはシステムが自動でやってくれる。私たち人間はどうでもよくないことをやっている」

実は、逆かもしれない。

「どうでもよくないことはすでにシステム化されている。私たち人間に残されたのはもはやどうでもよいことばかりだ!」

ピラミッドを外から眺める

私は、他者のピラミッドを冷静に外から眺め、分析する趣味がある。だてにサイコパスを名乗っているわけじゃないのだ。

「ああ、この人はこういう構造のピラミッドに参加していて、上層にはこれ、下層にはそれが置かれている。この発言はピラミッドのこの辺り。この振る舞いはピラミッドの外側か。なるほどな」

と、手に取るように分かることがある。覗かれているほうは嫌な感じがするだろうから、相手のピラミッドの中の人のように振る舞いながら覗く。まさに、スパイ活動的にピラミッド観光をしているのである。

安心してほしいのは、も誰のことでも分かるわけではないことだ。人間はそう単純ではない。

これが「分かる」のは、あくまでピラミッドに囚われ過ぎている人のみだ。そう、人間という種は単純ではないが、単純な人間については内面化したピラミッドがよく分かるのである。

自分を揺する体験

かくいう私自身もまた、自分では気づいていない内面化したピラミッドを持っている。それは自身のピラミッドの外に出たときに気づかされる。

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