逃げていい。でも、逃げ切るのは難しい。:現実世界とドラクエの違い
人生ではうまくいかないことも当然のようにあります。
「がんばっても思うような結果が出ない」とか、「この環境では息を吸うのも苦しい」とか。
私の場合、前者は過去のバンド活動、後者はカレー屋のバイトにあたるでしょう。
原動力と執着
バンド活動についての逃げ話。簡単に言うと、「仕事」としての音楽ではなく「趣味」としての音楽に切り換える過程で、一度音楽から逃げました。
「音楽と距離を置いて考えていた」などと言えば、聞こえはよいですが、単純にもうイヤになって、音楽から逃げたのです。
それから1年ほど経ってから、音を楽しむことそのものを目的に、縁あってバンドの再結成が実現しました。
昔は、「趣味」と言い切ることが、逃げのような気がしていたんです。
でも、このときには、「趣味とは、テキトーにやれるということではなく、楽しむプロセスにこだわってよいということだ」という考えに変わっていました。
あのとき逃げなかったら、結果が出ないまま、ただ、がんばっている自分を正当化し続けて、世の中を恨んでいたかもしれません。
自分の大事な思いを投げ出す、逃げ出すというのは、そのときは苦しいのだけれど、大事な思いほど「執着」が潜んでいて、世界がねじ曲がって見えてしまうのでしょう。
思いは原動力にもなるけれど、こうした負の側面も押さえておきたいものです。
自分をよく観る、世界をよく観ることに尽きるかと思います。
目的に対して総合的にプラスか
一方、単純にイヤなことから逃げたいときは、どうなんでしょうか。
「ここは自分の居場所じゃない」という思い自体は、しょっちゅう感じていますが、息を吸うのも苦しいほどの経験はどれぐらいあるでしょうか。
私の場合、今思えば割とどうでもよいことばかり頭に浮かんできます。
その1つが、カレー屋のバイトです。始めたバイトは最低でも2年以上勤めてきた私が、2日で辞めた唯一のバイト。
何がイヤだったのか、具体的には108つほど考えられそうですが、端的に言うと、全部がイヤでした。
息を吸うのも苦しい上に、仕事をして、時給をいただく。息を吸うのも苦しいというハンデを含めて、あらためて考えてみると、時給が20万円程度足りないことに気づいてしまったのです。
続ける意味が、もはや分からん。すぐに、辞意を表明しました。
この手のケースでよくあるのは、「私としては続ける理由はないけど、私がいないと◯◯が困るから」というものです。逃げることもなく、ズルズルよくない方向に向かっていきます。
確かに、逃げられない事情というのはあるのでしょう。事の大きさは、本人にしか計れません。
「家族がいるから」とブラック企業を辞めずに命をすり減らしている人もいれば、仕事はおろか妻子さえも置いて突然消える方もいますし…。同じ状況でも、逃げるハードルは人それぞれなんですね。
どっちがよいとも悪いとも言いませんが、総合的に考えてプラスなのかということは、よく考えたほうがよい。目的に対してプラスなのかを考えましょう。
家族を養うためにブラック企業に勤めて命をすり減らしている人は、命がすり減って働けなくなったら養えないことを考慮するとよいです。それでもプラスというのなら、もう黙ってがんばれ。
ドラクエと現実世界の違い
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