恐怖や不安が議論を邪魔する
第2回のオンライン飲み会、実験的にテーマを設けて議論してみました。個人的にはとても楽しかったです。個人的には。
アフターコロナについて語る会。バラバラの業界で働く友人が、それぞれの業界や居住エリアを背負って意見するという設定で議論をしました。
イベント業は、病院は、アパレルは、神奈川は、佐賀は、ニューヨークは、など、それぞれのリアルな声を聞けて興味深かったですね。
ビデオ通話は、どうしても等距離の音声になってしまうので、1つの話題をみんなで話すのにちょうどよいツールだなとあらためて感じました。
今回、難しさを感じたのは、議論アレルギーの国民性です。楽しめる人とそうでない人の温度差が顕著にあらわれたような気がします。
テーマによっては輝く人も出てくるのでしょうが、議論への嫌悪感がベースにある人はどうしても参加が難しそうでした。
エキサイトしている当の本人たちは楽しくて仕方ないわけですが、エキサイトしている雰囲気がケンカのように見える人も中にはいるんじゃないかと思います。
そうしたナイーブな人たちも交えて議論するためには、相当な安心安全の場を用意しなければならないと思います。しかし、10年来の人間関係であっても難しいのが実際です。
世の中には、議論が好きな人と嫌いな人がいて、嫌いな人が圧倒的多数なのでしょう。
議論が嫌いな理由はたくさんあるとは思いますが、分かりやすいものの1つは「こわい」というもの。
サイコパスとしては、その辺がよく分かりません。
議論とはその場のメンバーでインタラクティブに意味づけを行なうプロセスだと思っています。
意味を一緒につくるときに「こわい」というのは、どうしてもよく分からない。コミュニケーションの目的みたいなものがよく認識できていないのではないかと思いました。
もし、目的が分かっていてもこわいというのなら、正常な人間とは何とも脆い生き物なんでしょうか。お悔やみ申し上げたくなります。
結局、朝方4時まで激論していたわけですが、最後まで残っていたのは5人。うち、3人がサイコパスでした。60%がサイコパスのオンライン討論会って正気の沙汰ではありませんね。
恐怖は薄いし、感情より論理を大切にするサイコパスにとって、議論は最高の娯楽なのかもしれません。
「みんなと議論しなきゃいけないのかな」
結局、議論好きが勝手に議論してたら良いんじゃないかという、一つのあきらめのような気持ちが芽生えてきました。
サイコパスを集めてオンライン討論会をやりたい。
追伸
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