見出し画像

この世に、怒るだけの価値があるものってそんなにあるっけ?

スタバでおじさんがキレていた。

おじさんを語る、その前に

おじさんについて論じる前に念のため言っておく。主語が大きくなると、解像度が下がり、論じたい対象以外のものまで含んでしまう。一括りにするのは雑すぎるということ。

たとえば、「おじさん」という括り自体どうかとは思う。怒らないおじさんもたくさんいらっしゃることは重々承知である。「世の中のおじさん全員は」なんてこれっぽっちも思っていない。

ただ、それを差し引いても、おじさんってよくキレているよね。

私が、街で誰かが怒っているのを見かけるとき、97%がおじさんだ。あくまで、私個人の経験談でしかないが。

おじさん、キレる

さて、本題に戻る。

スタバでコーヒーを注文するため、会計待ちの列に並んでいた。レジは2つ。1つのレジが一向に進まない。滞っている。

おじさんのターンで、滞っている。何かがおかしい。

「店長を呼べ。いないのか!」

おじさんはキレていた。

詳細に会話を聞き取っていたわけではないので、理由は定かではない。とはいえ、店側がそんな無茶苦茶にやらかしたとは考えがたい。

そもそもスタバで起こりうる無茶苦茶には何があるだろうか。

①店員さんの態度がすごく失礼だとか、②マニュアル一辺倒であまりにも融通のきかないコミュニケーションだとか、③コーヒーを思いっきり服にぶっかけてきたとか、④予約していた何かが準備されていなかったとか、せいぜいそれぐらいのものではないだろうか。

スタバでは考えにくい理由ばかりだ。少なくとも、私が列の後ろで眺めた限りでは、①〜④のどれにも当てはまっていないようだった。もしあるとすれば、他の理由だったのだろう。

流れ弾で怪我

2つのうちの1つのレジ、すなわちおじさんで封鎖されたレジではない方で私は会計を済ませ、席に着いた。

5分ほど経っただろうか。まだ、店員さんががんばって対応していた。だんだん、おじさんの声も大きくなってきたせいで、私たち客は思わずそちらに注意を向けた。

おや、おじさんがこちらに向かって歩いてくる。

「人を睨みつけるもんじゃないよ!」

おじさんに目線を向けた客のうち、一人がおじさん機関銃の流れ弾に当たった。流れ弾を喰らった若い男性は、数分後に店をあとにした。彼の午後のコーヒータイムは不快なものになっただろう。

怒る理由が分からない

みなさん、街を歩いていて、お店で、電車で誰かが怒っているのを見かけることはあるだろうか。それは、どんな人物だろうか。果たして、「女子高生」と答える人はいるのだろうか。私の知る限り、回答の多くはこうだ。

「概ね、おじさんですね」

おじさんって何で怒っているんだろう。もちろん、怒らないおじさんもたくだんいる。むしろ、怒らないおじさんのほうが多い。そんなことは分かっている。でも、それにしても怒っている人のうち、おじさんの割合は多すぎやしないか。

確かに、一個人の経験で決めつけてしまうのは偏見というものだ。何も、決めつけるつもりはない。私が見てきた事実をただ述べているのだ。そして、その事実はマクロで見たときに偏っているのか。それとも、事実そうなのか。事実だとすると、原因は何なのか。そのようなことに純粋に興味がある。おじさんを糾弾したいわけでもない。ただ、知りたいのだ。好奇心が止まらない。

というのも、私は怒らない。

スタバの店員がムカついたのなら他のスタバに行けばよいし、スタバにムカついたのならスタバに行かなければよい。私ならそうする。

「この世に、怒るだけの価値があるものってそんなにあるっけ?」

考えてみても、なかなか思いつかない。

たとえば、カフェで誰かと打ち合わせをしていて、私が席を外した隙に、PCを破壊されたとする。それでも、怒らない。怒るとかそういう話ではないと思う。

友人が私との遊びの約束をすっぽかしたとしても特に何も思わない。それだけの関係だったという話ではないのだろうか。

パートナーが浮気をしても怒らない。やはり、単にそれだけの関係だったということではないのだろうか。

何か想定と異なる状況が訪れたときに、私は怒るという方向に行かない。怒ったところで、何も解決しないからだ。なぜそのようなことになったのかという分析的な思考が働く。分析結果次第で今後の行動や関係性や変わる。ただ、それだけのことだ。怒るとか、そういった感情を経由しない。

なぜ、わざわざ怒りの発生源と対峙し、戦おうとするのだろうか。私には意味がまったく分からない。きっとそういう「理屈」とはまったく別のところに怒りは存在するのだろうということは何となく分かる。つまり、ほとんど何も分かっていない。

それは「私がサイコパスだから」ということなのかもしれない。私の感覚を一般化するつもりもない。私は私でイカれているのだろう。

おじさんがキレやすいことについての仮説

おじさんがキレやすいことについて、いくつかの仮説を立ててみた。そのうちのいくつかは、Twitterで他者が意見を述べてくれたものから発想を得ている。

どの仮説が有力かは分からないが、想定されるパターンを列挙するだけでも何だかワクワクしてこないだろうか。気のせいだろうか。

おじさんは、なぜキレやすいのか。以下の4つにまとめてみた。

①外出しているおじさん人口が多い説
②おじさんは他者に期待している説
③前頭葉の機能劣化説
④長州力説

①外出しているおじさん人口が多い説

怒っている人の割合は各世代変わらないけれど、おじさんの絶対数が多いだけなのではないかという仮説である。

第一次ベビーブーム、第二次ベビーブームとおじいさんからおじさんあたりの人口ボリュームが多いのは簡単に見て取れる。

スクリーンショット 2021-03-31 15.39.56

出典:我が国の人口ピラミッド,人口推計(2019年(令和元年)10月1日現在)‐全国:年齢(各歳)男女別人口 ・ 都道府県:年齢(5歳階級),男女別人口‐,総務省統計局,2019

しかし、その世代は「女性も多いではないか」と。なぜ、おばさんはキレていないんだ、と。

これには2つ考えられる。1つは、男は外、女は内のライフスタイルが残っており、アクティブに外を出歩いているのはおじさんのほうが多い。2つ目は、おばさんはおばさんが行きそうな場所に固まっていて、私のようなおじさんの見えない場所で生活している。

結果、人口が多く、なおかつ人目に触れやすい場所にいるおじさん群が、よく怒っているように見えるという仮説である。

②おじさんは他者に期待している説

高度経済成長の残り火やバブル景気など、右肩上がりの雰囲気の社会を知っており、衰退する日本を受け入れられないという説。

「こんなはずではない」と思えば思うほど、他者に対する期待の気持ちや要求が大きくなってしまうのではないか。彼らは、期待とのギャップに怒っている、そういう仮説である。

③前頭葉の機能劣化説

オスは、加齢とともにテストステロンの減少と前頭葉の機能低下が起こる。

テストステロンの作用の一つに攻撃性がある。また前頭葉の一つに理性的に考える機能がある。

どっちも劣化してくれればよいのだが、テストステロンはバリバリのギンギンで、前頭葉が劣化した場合、攻撃性と理性のバランスが取れなくなってしまうのではないか。

つまり、理性でコントロールしていた攻撃性が、コントロール不能になって表に現れているのではないかという仮説である。

④長州力説

1995年10月9日、東京ドームで行われた新日本プロレスvsUWFインターナショナルの対抗戦、長州力vs安生洋二の試合後のインタビューで長州力は以下のように発言している。

アナウンサー「長州さん、キレたんですか?」
長州「あ?」
アナウンサー「キレました、今日?」
長州「キレちゃいないよ」

つまり、キレていると思っているのは見ている側だけで、本人は実はキレていないという仮説である。

怒りに興味が湧いてきた

考えれば考えるほど、怒りに興味が湧いてきた。自分がまったく怒らないせいか、怒る人の気持ちが1ミリとて分からない。

「イラッとする」とか「ムカつく」というのはよく分かる。でも、沸点を超えて怒りにまで到達する、そのプロセスがどうしても理解できない。

アンガーをマネジメントするどころかアンガーの不在票が入っている感じ。再配達を依頼したいが、連絡先が書かれていないしどこに問い合わせてよいのか分からない。

ここから先は

56字
マガジンの収益は、思索のための体験の機会にあてたいと思います。ぜひご購読いただけると嬉しいです!

脳内議事録

¥1,800 / 月

認識の解像度を上げるための思索の旅の記録です。エッセイ、トーク、音楽などさまざまなかたちで頭の中を晒しています。…本音は傷つく、高くつく。

こんにちは、うえみずゆうきです。もし気に入っていただけたら、応援していただけると嬉しいです。更新のモチベーションになります。