爽やかに、しなやかに学び合いだけ
最近、私は思想や哲学に興味がある。学びたい。学び合いたい。
言うは易し、行うは難し
「既存のコミュニティに馴染めなかった人の末路」という先日の記事にも書いたが、サイコパスゆえに私は既存のコミュニティの情動的共感の連鎖に乗っかることができない。どれだけウェルカムな態度で相手方に受け入れていただいても、(私の問題で)疎外感を拭うことができない。
1人ぼっちも好きなのだが、学びについては人を介して深めていきたいという欲がある。馴れ合いではない、学び合いの場がつくれたらいいな…というようなことを思っている。
言うは易し、行うは難しである。
酸素、二酸化炭素、混沌、秩序
複数の人間が集まると、空気はだんだん淀む。「酸素がたくさんあるよ」と集まったのに、酸素を貪るうちに二酸化炭素まみれになる、そんなイメージだ。
たとえ、どんなに素晴らしいコミュニティであってもこれは免れない。人が集まるというのは、残念ながらそういうことだ。それについて私は悲観的である。
コミュニティの結束が弱ければ細胞膜(コミュニティの境界線)ごと破壊されてしまう。結束が強すぎると、誰も細胞膜を通って来れなくなる。ちょうどよい風通しのコミュニティを持続可能な状態に保つというのは、ノーベル賞ものである。
目的のブレは解散に等しい
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