他人の評価に振り回されていませんか?殺されない程度に気にすればOK
人を評価するなんて、そもそも無理にもほどがあります。
私とあなた、どちらが人として優れているか?そんなことは比べようがありません。
もちろん、定量的な問題に関しては簡単に判断できます。
「私とあなた、どちらのほうが収入が多いか」とか「身長が高いか」とか「ヘモグロビン値が高いか」という比べ方なら、お互いの正しい数値が分かれば一瞬で判断できるでしょう。
しかし、私のほうがあなたより身長が高いからといって、私のほうが優れた人間と言えるのでしょうか?
…言えませんよね。
質的なものは、評価ポイントや評される場面をかなり限定し、なおかつ基準となる誰かと比べて、ようやく、しぶしぶ判断できるわけです。
「確か」ではなく「確からしい」というレベルです。
どちらがイケてるのか
たとえば、「AさんとBさん、どちらがイケてるか?」という問いがあったとしましょう。これはもう正しい答えを出すのは不可能です。
たくさんの人に聞いて回って、統計をはじき出して、確からしい結果を導き出すことならできます。
どちらがイケてると思うか1000人にアンケートを取ったところ、「1000人中900人(0%)が、Bさんのほうがイケてる」という結果になったとしましょう。圧倒的ですね。
Bさんは何をもってAさんよりイケてると判断されたのでしょうか?Aさんは何をもってBさんよりイケてないと判断されたのでしょうか?
顔?ファッション?身長?筋肉?雰囲気?経歴?職業?年収?信念?
いろんな判断軸が入り混じっていたり、何かの要素を過剰に評価したり、評価者の中の「イケてる」に照らし合わせて判断されたわけです。
一人ひとりがしっくり来る「イケてる」の定義が違うため、もうどうしようもありません。
結果はあくまで、「90%の確率でBさんのほうがイケてる」ではなく「90%の人がBさんのほうがイケてると言ったという事実があります」というだけなんですね。同じことを言っているようですが、ニュアンスが全然違います。
「かっこいい」や「優しそう」でも同じ問題にぶつかります。
問題文の解釈がすでにバラバラ
世の中には、人による人の評価がはびこっています。
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