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灯台もと暗し

目的にまみれて生きていると、無目的的に何かに没頭する機会が少なくなってしまいがちです。透き通ってキラキラして見えるきれいな液体も、ビンの底には義務感が沈殿してる模様。最後の最後で、開放感に欠けるものです。

「目的はないけど、ただやりたい」という感覚。子どもの頃のような無邪気さというか。そういうのを今、欲しています。自分が何者であるか思い込んでしまわないように。

ある程度の語彙力がある前提の上で、「気持ちいいから」とか「楽しいから」としか言いようがないようなことをやりたい。

「何かのために」ではないことを。

私の場合、散歩やサウナでさえもいちいち目的的な思考になってしまいます。意味を持たせないと苦しい性分なのです。散歩でさえ、目的的になってしまう人間にとって、無目的な行為など見つかるのでしょうか。もはや、「目的がない」を通り越して「意味がない」ことをしたいのかもしれません

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