「曲が降ってくる」は本当か?
今、ぐるぐると頭の中を思考がめぐっています。めぐらせているのではなく、めぐっている。脳内でいろんなことが起こっているのでしょうが、科学技術を使わない限り「いろんなことが起こっている」という程度にしか言い表せません。
これを「静かなる狂気」と、厨二病的に名付けてみます。
降ってくる
よくミュージシャンが「曲が降ってくる」というような言い方をしますが、あれはカッコつけているわけではないと思います。
確かに「そう言ったほうがカッコいいから」とカッコつけている人もたくさんいるでしょう。特に、仕事として創作をしている人たちは、締切や市場(ターゲット)があるわけですから「降ってくる」中心の創作活動では継続が難しい。打率1割のホームランバッターより、打率4割に届きそうな安打製造機のほうがクライアントには喜ばれるでしょう。「降ってきた作品もあれば、無理やりひねり出した作品もある」というのが、より現実に沿っているかもしれません。
私自身、かれこれ20年ほど売れない作曲活動をしてきましたが、「降ってくる」ような体験をよく経験しました。
一応、言っておきますがカッコつけているわけではありません。売れない作曲家がカッコつけても、カッコつかないことぐらいはよく理解しているつもりなのでご安心ください(何の安心だ)。
再現性がない
さて、「降ってくる」とは、具体的にどんな感じなのか。
それは「よーし、曲をつくろう!」みたいな張り切った感じではなく「今つくりたい!つくらなきゃ!(たとえ予定をドタキャンしても)」という狂気じみた強い衝動なんです。それを受け入れた創作者は、少なくともその時間、限りなく社会不適合者です。「今この瞬間」しか存在しないようなマインドフルネス過剰な状態と言えるかもしれません。
これは、理屈ではありません(脳内の電気信号をいじって、その状態をつくりだせば再現性はあるのかな?)。静かなる狂気は、安寧の対極にあります。
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