ゼロはやっぱり寂しい
小さい頃、川辺で水面に向かって石を投げ、波紋を広げるという遊びをやっていた。石が水面を跳ね、波紋がいくつ連鎖するか。そんなことで興奮した。
波紋がまったく広がらないとつまらなく感じる。こんなの一体何が楽しいんだと冷めてしまう。
そういう感覚は、大人になった今でも変わらない。少なからずきっと、誰かに影響していたいんだろう。
影響したい感覚の奥底
影響したい感覚の奥底は、いくつか枝分かれしている。
誰かに認められたい気持ちがまずあって、自身の影響力を確かめるように水面の波紋の広がりを確認する人。
何か特別な課題意識があり、その課題意識の世の中との共有度合いや進捗を知るために波紋の広がりを確認する人。
子どもの頃、無心で水面に石を投げたときのように、波紋の広がりそれ自体を楽しむ人。
同じ波紋でも、それぞれ石を投げる理由は異なる。一見優劣がありそうに見えるかもしれないが、ただの好み(偏見)の問題である。
どれも自己満足に違いないからだ。
影響力の可視化
デジタルの世界では、影響力が可視化される。
フォロー、フォロワー数はもちろん、自分が何回石を投げたか、何回波紋が起こったか。1度のみならず、過去の履歴まで蓄積され折れ線グラフを出してくれる。
こうなってくると、石を投げる人に2極化が起こり始める。
相変わらず、ただ石を投げる人。データを見て、石やフォームを改善して投げる人。
後者はどんどん石を投げるのがうまくなる。やがてプロみたいな人が増えてくると、前者は埋もれる。波紋が起こる人と、そうでない人がはっきり分かれる。
石を投げるのがうまい人が波紋を生み、石を投げるのが下手な人はプロの波紋芸を見て楽しむ。いつのまにか演者と観客の関係ができあがる。
影響力は続かない
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