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意識を意識してみたら肉体が迷子になった

スーパーファミコン(スーファミ)で遊ぶ、そんな小学生時代を過ごした。

友だちの家に6人ぐらい集まって、ゲームを交代でプレイする。コントローラーは2つしかない。必然的に待ち時間の方が長くなるのだが、観ているだけでも楽しかった。

粗い解像度に没入した

寒い冬のある日、友だちの家でスーファミのマリオカートをして遊んだ。解像度の粗い二次元の画面に、私は没入していた。プレイしているキャラクターに自分を憑依させるかのように

レースに没頭していた。

そうこうしているうちに、町に夕方5時の音楽が鳴り出したのが聞こえた。門限を破ると母からこっぴどく叱られてしまう。早足で家路をたどった。

溶けたジャンパー

家に帰り着くと、ジャンパーを脱いで椅子に腰かけた。

母が悲鳴をあげる。

どうしたのかと思ったら、ジャンパーの背中が溶けていた。マリオカートに夢中になっている間、背中にあったストーブで焼けてしまったのだった。

門限を守ったのに、結局こっぴどく叱られてしまった。

ノコノコ イズ ミー

私は、私たちはまったくジャンパーが焼けるのに気づかなかった。二次元の解像度の粗い、お世辞にも大きいとは言えないテレビ画面の中に完全に没入していた

そのとき、私の肉体はノコノコだった。比喩ではなく、本当にテレビ画面の中のノコノコだった。まぎれもなくノコノコは私の肉体だった。

没入感 臨場感

それは人間の一つの可能性とも捉えることができる。

肉体を飛び出して魂(?)みたいなものを別の対象物に飛ばすことができる」なんて言うと怪しまれてしまいそうだが、あながちそれは間違っていないかもしれない。

没入感があり臨場感を感じられたなら、人間にとって現実と言ってよいほどの体験が生まれるのではないか。

VRは今もまだ「仮想」な感じを抜け切れていないが、解像度は高くなりいつか現実と遜色ないほどのリアリティを持つ日が来るのだろう。

ただ、解像度だけでは没入感と臨場感を必ずしも担保できないのかもしれないそもそもの意識状態こそが重要なのではないか

意識って何だろう

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