人である必要性について
ミネラルウォーターが家に届いた。2リットル×20本の水が、マンション1階の宅配BOXに入れられていた。
「A地点からB地点に運ぶ」だけが仕事だと、どうやら思い込んでいるようだ。
20代の頃、私は宅配便のアルバイトをしていた経験がある。だからこそ、1階に置いて行きたくなる気持ちはよく分かる。無駄に重い。けれど、これをやってしまうと顧客との信頼関係は築きにくい。
意外にシビア
「計40kgの荷物を宅配ボックスに入れるなんてありえるのかしら」と思いネットで検索してみたら、ザラにあるようだった。
何ちゃら知恵袋みたいなやつに書いてあった事例では、「30kgオーバーの水を宅配ボックスに納品されました。腰が悪くてどうしても自分で運べません。どうしたらよいでしょうか?」というものがあった。みんながみんな、自分で水を運べると思ったら大間違いなのである。
この質問に対するコメント欄を見ていると「宅配員が宅配ボックスに入れるのは普通のこと。注文した時点で30kgあることは理解していたはずですよね」というような厳しめの意見が意外にも多かった。
サービスの観点
宅配の不在対応は確かに大変だ。特に忙しい時期は、毎日が戦場のようだった。実際にやっていたからこそ身にしみて分かる。
とはいえ、彼らは強制労働させられているわけではない。自ら志願したプロである。その分の対価をきちんともらっているのだ(もっと言うと、嫌ならやめればよい)。
宅配サービスの本文は、A地点からB地点に物を運ぶことだろう。B地点の私のマンションに無事届いた。輸送の観点では100点だ。
しかし、サービスの観点ではどうだろう。サービスの語源は「Serve」である。「仕える」という意味なのだが、顧客が困ると分かっていながら自分がしんどいからといって楽することが果たしてサービスと言えるのだろうか。
私には疑問が残る。輸送は100点、サービスは0点であると思った。
時代の行く末
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