作品のデフレーション
動画制作をするためにBGMを音楽プラットフォームで探していました。イメージが先にあって、それに合致するものを探している、そんな場面。
複雑な心境
最初の音色、最初の響きを聴いて、ものの数秒で「次!」「次!」と飛ばしていく。数秒をクリアし、15秒まで来たあたりで「あー、そこでそのスネアの音色かぁ。違う、次!」と飛ばす。
自分で作らなくとも、イメージに合致する曲をこうして簡単に選べることは、消費する側からしてみれば大変有り難いものです。
とはいえ、まがいなりにも私はバンドマン。少し複雑な気持ちになってしまいました。
鑑賞ではなく、使用される音楽。
音楽プラットフォームのおかげで、私は動画のBGMを難なく安価で探すことができます。その一方で、作品を数秒で判断し、使えるものだけ使おうとする。この「使える」という機能的な視点が、誠にビジネスっぽい。
音楽もすっかりビジネスに飲み込まれてしまったなぁと。
音楽鑑賞と人間性
90年代、CDが売れていた時代のオリコンチャートなど、商業音楽と割り切って眺める分にはまだよかったような気がします。「メジャーとインディーズ」みたいに音楽を奏でる目的がきれいに棲み分けされていた。認識が粗かった当時の私にはそれぐらいはっきりしているのがちょうど良かったんですね。
聴いている音楽が分かれば何となくその人の人間性まで見えてくる、そんな時代だったような気がします。
最近は、サブスクリプションサービスの普及もあって、「とりあえず音を聴いている」感じが否めません(別にそれが悪いと言いたいわけではない)。聴いてる音楽で人間性まではさすがに見えて来なくなった。
メジャーやインディーズという、ある種の単純さもなくなってしまいました。
作品のデフレーション
インターネットによって、旧来のメディアの権力はすっかり崩れつつあります。個人がメディアを持てるようになり、さまざまなプラットフォームを使えば、アーティスト主導でも全世界に作品を届けることができます。
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