認識の限界を感じたら、さすがに現実を変えるほかない
この世のありとあらゆる物事は、認識を変えることで、意味的価値をコントロールできてしまいます。悪用厳禁ではありますが、自分を納得させるための手段として自分自身に用いるにはなかなか有用ではないかと思うわけです。
ただし、事実は変わらない
次のような話をよく目にします。
コップに水が半分入っているとして、「半分も入っている」と思うか、「半分しかない」と思うか。
「も」と思うか、「しか」と思うかで全然違いますよね。「も」と思いましょうよ、みたいな話です。
これは使える場面が限定されます。学校のテストで50点「も」取れたと思うか、50点「しか」取れなかったと思うのか。60点以下が留年ならば、ポジティブに捉えたところでどうにもならないこともあるわけです(進級が1年「も」遅れたと思うか、1年「しか」遅れなかったと思うかは、また別のお話)。
忘れてはならないのは、ポジティブにとらえたところで、事実は変わらないということです。
本当は、コップに半分「も」水があるのでもなければ、コップに半分「しか」水がないのでもない。コップに半分の水がある、以上です。
そんなふうに思えたなら話は終了です。しかし、「も」とか「しか」と思ってしまうのが人間の常ではないでしょうか。ついつい、自分なりの評価を加えてしまうわけです。
満足度に認識は重要
学校のテストの例のように事実は変えられないにせよ、認識によって自分自身のとらえ方をコントロールするという意味では役に立つのは確かです。
給料が50万円もあると思うか、50万円しかないと思うかで、日々の気分はまったく異なるはずです。年収600万円に変わりないわけですが、幸福度の観点からは天と地の差がつきそうです。
年収1億円でも、10億円でも「しかない」と思ってしまえば不満足です。認識は、人生の満足度を得るためにとても大切なものです。
認識には限界がある
しかし、認識さえコントロールできれば人生は安泰かといわれればそうでもありません。
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