知のDIY精神
「DIY」とは、Do It Yourselfの略である。「自分でできることは自分でやろう」という理念のもと、他者(業者など)にやらせるのではなく、自身で何かを作ったり、修理したり、装飾したりする活動のことを指す。
知という名のデリケートゾーン
家具や家のリフォームなど、モノをDIYすることは一般にも浸透している。
ところが、「知」となると途端に既製品におんぶに抱っこになる。他人の言葉をドヤ顔でペラペラしゃべるばかりで、自分の言葉で語ろうとする人間は少ない。
大学教授とビジネスエリート以外は「知」を口に出してはいけないような特権的な空気が漂っている。どうして、こんなことになってしまっているのか。「間違ったことを言えば恥をかく」といった失敗したくない精神に基づくのではないだろうか。
その気持ちは分からなくもないが、一つ疑問に思うことがある。
DIYの本棚は寸分の狂いもない完璧な出来だと言えるだろうか?おそらく独特のズレがあるだろう。果たして、それを恥ずかしいと思うだろうか。
「不恰好だけど、自分の手で作ったから愛着があるんだ」などと言い出すのではないだろうか。モノに対してはこれができるのに、知になった途端これができないというのは何か原因があるに違いない。
匠(家具職人)がつくる本棚は素晴らしい。でも、素人のあなたがつくる本棚も場合によっては素晴らしい。
匠(学者やエリート)がつくる知は素晴らしい。でも、素人のあなたがつくる知も場合によっては素晴らしい、と思えないのはなぜなのだろうか。
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