見出し画像

好き嫌いの解像度

突き詰めると、あらゆる物事は好き嫌いで判断せざるをえない。ある程度の解像度を超えた人間はみんな知っている。

「好きか、嫌いか」

ところが、ある程度の解像度に満たない人がこれを採用しようとすると痛い目にあう。深く考えたこともなく「好き」とか「嫌い」などと平気で言い出す。昨日嫌いだったことが今日そこそこ好きになったというような、ただの気分に左右されただけの好き嫌いで物事を判断することになる。確かに、好き嫌いで判断していることには違いないが、好き嫌いの解像度が低いとまるで使い物にならないのだ。

深く考えないための免罪符として機能しているに過ぎない。

では、「ある程度の解像度」とは具体的に何を指すのか。

料理を例に考えてみよう。

ここから先は

797字
マガジンの収益は、思索のための体験の機会にあてたいと思います。ぜひご購読いただけると嬉しいです!

脳内議事録

¥1,800 / 月

認識の解像度を上げるための思索の旅の記録です。エッセイ、トーク、音楽などさまざまなかたちで頭の中を晒しています。…本音は傷つく、高くつく。

こんにちは、うえみずゆうきです。もし気に入っていただけたら、応援していただけると嬉しいです。更新のモチベーションになります。