好き嫌いの解像度
突き詰めると、あらゆる物事は好き嫌いで判断せざるをえない。ある程度の解像度を超えた人間はみんな知っている。
「好きか、嫌いか」
ところが、ある程度の解像度に満たない人がこれを採用しようとすると痛い目にあう。深く考えたこともなく「好き」とか「嫌い」などと平気で言い出す。昨日嫌いだったことが今日そこそこ好きになったというような、ただの気分に左右されただけの好き嫌いで物事を判断することになる。確かに、好き嫌いで判断していることには違いないが、好き嫌いの解像度が低いとまるで使い物にならないのだ。
深く考えないための免罪符として機能しているに過ぎない。
では、「ある程度の解像度」とは具体的に何を指すのか。
料理を例に考えてみよう。
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