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娯楽と生産性とコミュニケーション

私はそれを「美しい」と言い、あなたはそれを「美しい」とは思わなかったとします。じっくり話し合ってみるわけですが、どこまで行っても分かったような分からないような、むしろ、何を美しいと感じているかについての「説明」が理解できただけで、美しさそのものなんて言葉で共有できるわけがない。優しさだって、面白さだってそう。

私たちは、自分や相手が吐き出した言葉の連なりをさまざまな文脈から統合し、意味を見出します。各人が意味を見出すほかないため、見出した意味は私とあなたできっと違っている。言語コミュニケーションが便利と言えるのは、価値観や抽象度や知的レベルがある程度近い関係性だからではないか。そうでなければ、かえって言語が邪魔することも多々あります。

何も共有できていないけれど、共有しようとアクションする。私たちは、それを「コミュニケーション」と呼んでいるだけなのかもしれません。もしそうだとすると、もはや「楽しむ」ぐらいしか気を配ることが見つからない。同じものはきっと共有できないのだから、せめてそれぞれ楽しみましょうよ、と。

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