待ち遠しいという感覚の欠落
「明日、焼肉パーティなんです。楽しみだな。待ち遠しいな」と友人が言っているのを聞いて、ふと気づいたのです。私の暮らしに、待ち遠しいことなど1つもないことに。
「待ち遠しい」という感覚は、誰にでも、何歳になっても湧き起こるものなのでしょうか。
たとえば、好きな人とのデート、旅行。
「待ち遠しい」と言えばこんな感じの案件に対して湧き起こるものではないかと想像しているのですが、このような場合においても「待ち遠しい」という感覚が私には芽生えてきません。
好きな人とのデート。「楽しい時間になるだろうか。2人の関係は前に進むだろうか」という心配ごとのほうに意識が向きます。私にとって、本番までの時間は、問題発見・問題解決のための時間でしかないのです。待ち遠しいというより具合が悪くなる。
旅行にしても同じです。当日の朝を迎えるまで、何なら予定日に近づけば近づくほど「めんどくさいな。もうやめようかな」という気持ちが頭をもたげてくる。おそらく待ち遠しいの対極にあります。
今年の2月のニューヨーク旅行も、当日飛行機の搭乗機手続きを終える瞬間まで、ずーっとネガティブなことを考えていました。考えていただけならまだしも口から出るすべての言葉がネガティブでした。「待ち遠しい」などとは口が裂けても言えない精神状態だったんですね。
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