実験中止!休日は休もう
このところ、ほとんど無感情な日々を送っている。
疲れているせいだろうか。自分が自分の遠くに離れている感覚がする。元々、俯瞰視点が強いほうなのだが、さらに拍車をかけて俯瞰している。俯瞰し過ぎると、自分が他人にさえ見えてくる。
生活の中で、他者から「なるほど」という視点をもらうことがある。それでも、心は反応しない。自分が自分から遠く離れている。心までの距離もまた遠いのである。
自己肯定感高め、自己評価低め
余談ではあるが、昔から私は自己肯定感が高い。そして、自己評価が低い。前者は存在について、後者は能力について。自分の能力を高いと思いたいのはしょっちゅうのことであるが、実際に自分の能力を高いと思ったことはない。世の中には、私が1番得意とする何かを私なんかよりもはるかに優れた形で実現する人間がウジャウジャいる。この社会でやっていける気がまるでしない。モチベーションが湧かない。
ところが、そんな自己評価底辺の自分よりも能力の低い人を見かけることがよくある。私は特別能力が低いわけでもないらしい。単に、自己評価が歪んでいるだけなんだろう。上には上がいるように、下には下がいる。どうしたらそのようなアウトプットで平然と給料をもらえるのだろうかと疑いたくなるぐらいだ。
とはいえ、参加するモチベーションがあるわけだから、やはり叶わないなとも思う。
ただ、ネガティブ
能力なんてクソ喰らえ。存在している。それでいい。自然淘汰されていないということはそういうことじゃないか。
いや、どうなんだろう。今や自然淘汰さえ起こらない温かいゆりかごの中に揺られている、茹でガエルの一員かもしれない。自分なんかとっくに自然淘汰されてあの世に行ってしまっていておかしくないのだ。そうだ、きっとすでに茹で上がってのぼせているんだ。
具体的な敗北を経験したわけでもなく、そんなことを考えることが最近増えている。
書きながら、自分でも何を言っているのかよく分からない。おそらく、まともな精神状態ではないのだろう。
休日は、きちんと休もう
元をただせば昨年末から「365連勤」などというチャレンジをしているせいではないのか。休まなくなって、何かがおかしい。
①365日、働く
12月の終わりに「ここは勝負の時」と、久しぶりに私の直感が働いた。2021年は自分の力を出し惜しみすることなく、ハードワークする1年にしたいと思っている。365日働くといっても、長時間労働をするわけではない。平日と休日を分けるのではなく、毎日生産性の高い時間に仕事に従事するというだけの話である。これは2020年に毎日noteを書いたり、Podcastを配信したことがヒントになっている。毎日やると決めたら、気分が乗るとか乗らないの話ではないのである。働くことが自然という状態を作りたいなと思っている。
安易だった。日に日に無感情になる自分。これ以上はちょっと危険を感じる。5ヶ月目にして限界が見えてきた。
実験は中止だ。
「休日と仕事のオンオフが小刻みに行われれば、オンオフの負荷が減るのではないか」というのは大間違いだった。単に身も心も休まらず、パフォーマンスは下がり、なおかつ感情鈍麻に陥るだけ。ただの廃人である。
この失敗体験は社会に共有されるべきだと思う。これからは、人々がきちんと休むことを推奨したい。
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