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原稿用紙3枚の地獄

朝方、うなされて目が覚めた。嫌な夢を見ることはあれど、うなされながら起きるのはめずらしい。

年齢こそ今と変わらないが、学校生活を送っている夢だった。おそらくテストであろう雰囲気の中、原稿用紙3枚の作文を書かされた。

(作文のテーマは思い出せないのだが)何を問われているのか理解できないまま筆が進まなかった。書き終わった者から順に部屋を出て行く。周りの同級生たちはスラスラ書いている。鉛筆のカツカツする音がプレッシャーを与えてくる。

本当はよくないことなのだが、良心的な友人がコソッとこの作文の学校側の意図を教えてくれた。なぜ問われていることの意味が分からなかったのかが分かった。それまでの授業を私が受けていないからだった。文脈を共有していない人間からの問いは、何を問われているのか分からないことがままある

さて、ようやく問いの意味を理解した私は、どんな文章を書くか頭の中に思い描く。日頃からエッセイは書き慣れている。原稿用紙3枚、1200字などお手のものだ。大きな構成はできたので、いよいよ筆を取る。

…しかし、書けない。

原稿用紙のマスに、鉛筆で埋めていくなんて職人芸過ぎる。後から文をやり直せない、ぶつけ本番の緊張感。そして、手書きで他人様が読める字を書くハードル。こんなものを1200字完結させるなんて、その道のプロじゃないと難しいというものだ。きっと同級生たちは事前に考えていたに違いない。畜生だ。

いよいよ、同級生はみんな出て行ってしまった。私は一人取り残され、必死に原稿用紙を埋めようとしている。書きたいことは頭にあるのに、ちょっとやり直すだけでマスがズレる。また消す。テトリスのように、文字が消えていく。

こんなことを繰り返しているうちに原稿用紙はだんだん灰色になり、クシャクシャになって、とても誰かに読んでもらえるような状態ではなくなってきた。どうする、終わる気配がしない。汗が止まらない。たまらなくなって、うなされて起き上がってしまったというわけだ。

それにしても、昔の人はすごい。原稿用紙と向き合っていたのだから、芸術家というよりは職人に近い印象がある。それと、高校の推薦入試でぶつけ本番で原稿用紙に小論文を書いたあの頃の自分もすごい。人から見定められるプレッシャーの中、よく時間内に書き上げたものだ。

今の学校のことは知らないけれど、未だに原稿用紙にぶつけ本番で書かせるようなことをやっているのだとしたら、とってもスパルタ教育だなと思う。そして、宿題として原稿用紙を渡すのは無駄である。私の知る中学生は、一度Wordで書き上げた文章を原稿用紙に写しているらしい。時間も紙資源も無駄だからデータで提出させてあげたほうがよいのではないか。

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