人間関係に一喜一憂しないために
人間関係に一喜一憂することを幸せに感じる人はこの文章を読む必要はない。ジェットコースターのような気分の浮き沈みこそが人間の醍醐味だと思う人にとって、一喜一憂することは正しい。
しかし、人間関係の出来事に一喜一憂することが苦しかったり、私のように「一喜一憂する態度はとっ散らかった部屋のようだ。まるで精神がととのっていない」と一刀両断してしまう人は、人間関係に一喜一憂しないために1つ参考にしてほしいと思う。
期待と期待値の確認頻度
人間関係に一喜一憂する最大の理由は、相手に対する期待と期待値の確認頻度にある。
「期待」には当たりはずれがある。自分の勝手な見立てであるのだから当然だ。相手が期待に応えてくれるときとそうでないときがある。一生すべての領域で相手が期待に応え続けてくれることはまずない。期待はずれは起こるものだ。
次に「期待値の確認頻度」。
プレゼントをくれた、つらいときに相談に乗ってくれた、一緒にいて楽しかった。実利でも情動でも構わないのだが、ときどき心の中で相手への期待値を計算しているのではないだろうか(精密ではないにせよ)。
「あんな人だと思っていたのに(期待)、まさかこんな人だった(確認)なんて」
こんなことをしょっちゅうやっているのだから一喜したり一憂するのは至極当然のことである。
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