75%のことは自分が変われば済む話
サウナでととのった後で、炭酸水をプシュっと。リラックスしようと横に長く連なる休憩スペースに腰かけました。館内には癒し系の音楽が流れています。
至福のひととき。
そこに、数組のファミリーがやってきました。数人のキッズが奇声を発しながら走りまわっています。誠に元気があってよろしいですね。
さて、このとき私は何を思えばよいのでしょうか。私のリラックスタイムは一体どこに向かうのか。
「子どもたち、元気に走りまわってかわいいね」と考えることもできるし、「うるさくてリラックスできたもんじゃない」と考えることもできます。いずれにせよ、人間は置かれた状況に対して自由に解釈することができるんですね。
余裕に満ちた大人の態度として前者…を選びたいところですが、今回の私は後者でした。リラックスするためにこの場に来ている以上、ここは譲れません。
元気があるのはよろしい。でも、私はリラックスできない。リラックスしたい私と、元気に走りまわりたい子どもの利害が1つの物理空間上で対立しています。
この問題をどうすべきか。解決策は、おおよそ次の3つのいずれか(もしくはミックス)となります。
①相手に変わってもらう
②何もしない
③自分が変わる
このシチュエーションで①を選ぶなら、子どもや保護者や施設の人に何かアクションを起こして、子どもたちの奇声を止めさせ走りまわらせないということになります。
②を選ぶなら、状況を我慢して何事もないかのようにリラックスしようとそのまま何とか頑張る。
③を選ぶなら、自分の解釈を変えるとか、場所を変えるなどしてリラックスがはかどるよう自ら工夫します。
今回、私は③を選びました。シンプルに、場所を変えました。無事、問題は解決しリラックスすることができたわけです。
一見、何の変哲もない話をしました。
けれど、世の中を見回してみると、①②のアプローチがそこら中にまかり通っています。実は、不満をぶちまけている人たちは、相手に変わってもらいたい人たちなんですね。
たとえば、SNSで「消えろ」とか「死ね」という言葉を誰かに投げつけるとき、(どこまで本気かはさておき)相手に消えてもらったり死んでもらおうとしています(①)。しかも、相手に不快感を感じつつも、引き続き我慢して相手の動向をウォッチしている(②)。
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