コミュニケーションとしての「言葉」
近くで電話をする声が聞こえてきました。爽やかな声色で、「最近は仕事に慢心しています!」と、とんでもない発言をサラッとしています。
多分、「仕事に邁進しています」と言おうとしたんでしょう。
いや、邁進の言い間違いではなく、本当に慢心しているのかもしれません。本人にしか真意は分かりませんが、さすがに問い直すことも憚られるような感じがします。
「言葉を間違っているよ」と言うのは簡単だけど、(あえてこういう言い方をしますが)辞書的に間違っているに過ぎません。
本人の中では、「慢心」という言葉が「元気よくひたすら目的に向かって進むこと」という邁進の意味で運用されています。会話の相手が「慢心だと?!」とならず、邁進の意味で受け取ることができたなら、それはそれでコミュニケーションは成立しているのです。
言葉って本当に難しいです。どこまで行ってもその人の運用上の意味でしかないという…まさに言語ゲームですね。ただの言葉の間違いであったとしても、どこからが間違いでどこまでが正しいのか、線を引くことができません。
文脈や非言語の要素も大いに絡んできます。「どう考えても慢心しているような声のトーンではないから、きっと邁進のことを言っているんだろう」と結局言葉以外の何かに助けられてコミュニケーションは支えられているのです。
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