報連相以外は対話する
テキストで双方向的にコミュニケーションすることを私はなるべく避けます。
報告と連絡と軽い相談のような無味乾燥なコミュニケーションならテキストとの相性は抜群です。しかし、それ以外となるとみんな好き勝手に創作を始めます。書かれてもいないことを、さも書いてあるかのように受け取ったりする。もちろん、文学作品ならそれでよいのですが、私たちの日常会話の中に果たしてどれぐらい文学的な表現が好んで用いられているのでしょうか。
直接的に言葉にしたい人、間接的に言葉にしたい人、言葉にしたくない人、言葉にできない人、などさまざまな人がいることを考えると「人によりけり」としか言えません。私とあなたというたった二人の会話さえも変数まみれです。完全に迷子。
発信者が頭の中に思い浮かべたこと、発信者の文章力、読み手の読解力、読み手が頭の中に思い浮かべたこと。(本当はもっとあるけど)少なくともシンプルにこの4つがあることを想定すると、双方向的なコミュニケーションは、信号のない交差点のような危うさがあることに気付きます。
ほんとうに文字通りの意味で「月が綺麗ですね」と言ったつもりが、夏目漱石ファンなら「I love you」ととらえてしまうかもしれない。
テキストに限らず、コミュニケーションは総じて厄介なわけですが、読み書きは、話す聞くよりも瞬発力がありません。個人的な解釈をフル稼働させがちなのです。思い込みがち、とも言えるでしょう。
「月が綺麗ですね」
「ありがとう」
「え?どういうこと?」
「え???」
上記のやりとりを、読み書きで行うのと会話で行うのとではなんだか質的に異なる感じがする。
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