強者と弱者
世の中には「〇〇弱者」がいる。当然のごとく、その反対には強者がいる。
一体、何の強弱なのか。そこははっきりさせなければならない。何となく複合的に社会的弱者だよね、というのでは心もとない。
一元的な評価軸
経済的な弱者というのは分かりやすい。お金を持っているか、そうでないか。この軸においては、金持ちは強者、貧乏人は弱者ということになる。そして、世の中の多くの人は実際にこの評価軸で強弱を見ている。こうした一元的な見方が蔓延している現代は本当に危うい。
お金が余るほどなくとも、豊かに暮らしている人だっている。それを聞いて「そうだよね」と思う人の大半は、そもそもお金という軸にそこまで執着していない人だろう。お金持ちであろうと貧乏人であろうと、お金を貪欲に求めていたならば理解できるはずのない感覚の話である。
きっとただのきれいごとに聞こえるだけだろう。
別の軸の強者
今日、ある人と対話していたのだが、彼は自分の思う「美」を軸に生きているらしい。それが自分にとって美しいか、美しくないかという評価軸を最重要視しながら生きている。だから、儲かることより美しさを優先する。速いことより美しさを優先する。賢いことより美しさを優先するのだ。
つまり、彼は人生美学においての強者である。いくらお金を稼いでいても、いくら社会的な名声を得ていても、人生に美学と呼べるような信念を持てていない人は大勢いる。そうした人々は、たとえ経済強者であっても美学弱者である。
軸を入れ替えてみるだけで、たちまち強者と弱者は入れ替わる。
選択肢の多さ
強者だの弱者だのと当たり前のように述べているが、私は何をもって強弱を分けているのか。
それは「選択肢の多さ」である。
ここでもまた経済的な軸で考えてみると分かりやすい。単純にお金がないより、あるほうが選択肢は多いだろう。お金がないと経済的は選択肢が少ない。
これは美学もまた同じである。美学のない人間はある状況で自身の美に照らし合わせて選択肢を考えようにも、よりどころとなる美が貧弱で照合できない。一方で、しっかりとした美学を持っている人間は、その美に照らし合わせていくつかの選択肢や、美と醜のボーダーラインまでもが見えてくる。
選択肢の多さが、ある軸における強者と弱者を見分けるのに役立つのである。
共通了解のための認識強者
私は、人生のテーマの1つに「認識の解像度を上げる」というものを掲げている。これはまさに認識強者でありたいという意思表明である。
認識弱者は、自分よがりのたった1つの認識で物事を解釈しようとする。結果、コミュニケーションもまた一人よがりになりがちである。最悪なことに、本人の認識の中では「よかれ」と思ってそういうコミュニケーションしていたりする。 残念ながら、善意によってマイナスの結果を生むことも少なくないだろう。
私にとってそれは正しい。でも、あなたにとってはどうだろう。どんなときも、さまざまな世界観の視点を意識しながら互いの共通了解の上限を目指していく。そういう姿勢を私は大切にしたい。
あなたは何の軸における強者でありたいのか。これは勝ち負けの話ではない。選択肢を多く持っておきたい軸は何か。一度ゆっくり考えてみる価値はあるのではないかと思う。
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