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線の準備

「よーし、今から喋ろう!」と思って話せる人はすごい。適当に面白い小話ができる人はすごい。いきなり中身のある話ができる人はすごい。

大抵の場合、そこに向かうまでの準備があって、その準備の上で話すと思うんですね。

イベントから逆算して準備する、というような当日を意識した「点」の準備でそれが成立するのは何の変哲もない自然なこと。

私がすごいなと思うのは、「点」の準備がものの数分あるいは数秒で終わってしまう人です。それは、日頃から「線」で準備できているから「点」については微調整で済む状態なのかなと思っています。

たとえるなら、常に料理を作りながら暮らしていて、必要な場面に応じて、ほぼ皿に盛り付けるだけの状態なのかなと。

この地球上のあらゆる素材を元に、自分の頭の中で思考する(料理する)、思考し続けている状態。パッとお題を出されても、(それを余儀なくされれば)数秒で皿に盛り付けられる状態。

もちろん、いくら料理ができているからといって、案件によっては料理を作り直したり、料理はそのままで盛り付けに時間をかけることはあるでしょう。

「点」の準備は外側(他者)の文脈の影響下にあるため「案件による」としか言いようがないわけですが、「線」の準備は内側(私)の文脈でしかないのです。つまり、日頃から思考し続けるということ、そのものが文脈となっていくのです。

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