共同生活と家事 (中編)
誰かと一緒に暮らすということ。共同生活と家事は密接に絡んでおり、適切なバランスを保たなければ不満になりやすい。多くの既婚者の話を聞いた結果をまとめると、家事への不満は、①そもそも家事をしない。②たまにやったかと思ったらクオリティが低い。ということらしい。
前編では、それが起こる背景と課題を見てきた。中編では、「①そもそも家事をしない」について私自身の事例を交えながら考えていきたい。
そもそも家事をしない
家事をしないことで失敗した経験が私にもある。彼女と同棲をしていた。当時、私は24歳だった。
彼女はとてもしっかりしていて、毎日のように洗濯や掃除をしていた(10年経った今思えば、やや潔癖症だった)。「家事は女がするもの」などとは私は1ミリも思っていないのだが、洗濯機は常に回っているし床も風呂もピカピカである。家事をする隙間が見当たらない。そんな調子なので、私が家事をすることはなかった。
しかし、問題は起こる。
(家事に関係のない)何かでケンカになった際に、家事をしないことを引き合いに出される。「誰が家事をしていると思ってるんだ!」と言うが、ケンカの原因と家事はあきらかに別物であるから「論点がズレてるよ」などと言ってしまう。ごめんなサイコパス。
ケンカのたびに家事を引き合いに出される。これではもう話にならんと思い、あるとき正直に言った。
「常に洗濯機が回ってるから、回すタイミングがないんだけど。不満なら自分の分だけ洗濯すればいい。悪いけど、家事を頼んだ覚えはないから」
…はい、盛大にやってしまいました。一番言ってはいけないことを私は言ってしまった。その後、しばらくして私たちは別れた。
する側にも、しない側にも論理がある
家事をするしない問題は闇が深い。する側にも、しない側にも論理がある。
家事をする側にいる人はストーリーを通じて私にムカついているだろうし、家事をしない側にいる人は私に共感していることだろう。
価値観が複雑化したこの社会においては、残念ながら正解はない。問題の本質は、お互いが自分の感覚的な世界に閉じてしまっていることだ。
たとえば、本当に毎日洗濯機をまわさないといけないのか?2日に1回じゃダメなのか?適切な家事の役割分担の在り方、洗濯の在り方は2人の間で共有されているのか。私たちの場合、共通のあるべき姿を共有しようとする態度がゼロだった。まさに自分の感覚の押しつけ合いになっていたのだ。
家事をしない人が、そもそも家事をするために
では、一体どうすればよかったのか。ここでは2つの解決策を提示したい。
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