安定の反対
昨晩、仮面読書会(仮面をつけてする読書会)を開催した。参加者と語り合った中で、特に印象的だったのは「安定について」の話だった。
安定志向と変化志向
世の中には、大きく分けて安定志向の人と、変化志向の人がいる(安定思考の対義語を調べたら「上昇志向」というのが出てきたが、全然ピンとこなかったのでここでは変化志向で統一する)。
安定志向の人は、安心して暮らせることに重きを置く。攻めるよりは守る。リスクを極力避ける。変化の刺激に弱い。一方、変化志向の人は、好奇心を満たすことに重きを置く。攻めるよりは守る。リスクを取りに行く。現状維持の平凡さに弱い。
一般的にいえば、安定の反対は不安定だ。そう聞くと、安定しているに越したことはない。そんなふうに見える。
しかし、もし安定や安心の反対に、もっと別の捉え方があるとしたら?
安定の反対
昨日の読書会の参加者たちは、総じて変化志向の人ばかりだった。仮面をつけた読書会に参加するぐらいだから、好奇心のかたまりのような人たちである。
果たして、安定の反対は本当にただ不安定なだけなのだろうか。私たちの対話は「安定の反対は不安定」という、ネガティブな結論には至らなかった。
私たちがたどり着いた結論は、「安定の反対は好奇心」だった。
好奇心は、まだ見たことの何かを欲望する。必然的に変化を望む。変化の裏には、好奇心がある。
安定は現状維持を望む。見たことのあるもので生活を固めなければならない。すべてを見たことのあるもので固めようと思ったら好奇心を押し殺さなければならない。
大袈裟にいえば、好奇心は未来を、安定は過去を生きようとしているように見える。
過去と違う日を送りたい気持ち
もちろん、それぞれに良し悪しはある。今回、大切なことは、安定の反対が不安定というただの否定形ではないことだ。
不安定の道(変化の道)は、一般的に一発当てるか犬死するかの極論で語られがちである。「好奇心」と捉えれば、これはくつがえす。確かに、変化はリスクを伴う。しかし、必ずしも犬死にや一発逆転といった極端な道とはかぎらないのだ。
これは、過去と違う日を送りたい気持ちと過去と同じ日を送りたい気持ちのせめぎ合いなのである。どちらの気持ちが勝つか。それだけのことだ。過去と違う日を送ってみたい気持ち、まだ見ぬ何かを欲することは、そんなに極端な話ではないだろう。
世の中を見渡すと、安定志向の人が圧倒的多数に見える。これは、安定の反対がただの不安定と思い込んでいることも大きな理由の一つではないか。
安定の反対は好奇心。そう捉え直すと、明日から何か一歩でも踏み出したくなる気持ちが湧いてこないだろうか。
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